前代未聞の大事件
ジョン・ガンサーが報じているように、「日本人がアメリカ兵を攻撃し、怪我をさせたのは、これが占領史上初めてのことだった」。
大事件となる。
マスコミは大々的に報道した。
『ニューヨーク・タイムズ』紙も5月31日付の社説でこの事件を取り上げ、マッカーサー元帥が5月3日に共産主義に対して警告した通りであると論じた。
『サンフランシスコ・クロニクル』紙は、皇居前広場は「人民広場」でなく「アメリカの広場」だと社説で断言した。
スピード裁判の背景
喧嘩直後、広場でただちに逮捕された共産主義者8名(立教大学生2名)が、翌日、午後12時15分から、占領軍の軍事裁判にかけられた。
この異例のスピード裁判は、マッカーサーの占領軍の威信をかけたものであった。日本人に、ましてや共産党員や全学連の学生に攻撃を受けて、反撃に出ないマッカーサーではない。
この喧嘩があった5月30日は、アメリカ軍にとっては非常に大切な日であった。
「メモリアル・デイ(Memorial Day)」と言われ、アメリカが英霊に感謝と祈りを捧げる日で、アメリカの祝日である。
この日に、アメリカ兵が襲われたのだ。東京のGHQが異常の怒りを露にしたのは、そのような背景があるからだ。
マッカーサーの決意
GHQ参謀第二部長のウイロビー少将は、裁判開始の日の5月31日に、このマッカーサーの決意を次のように代弁している。
「我々は軍服を着たアメリカ人に挑んだり、暴力を加えたりする者に対して、裁判を延ばすことは許されないと考えたために至急裁判を開くよう命じたのである」
チャールズ・ウイロビー
また、ウイロビーは、6月2日の午後2時から、岡崎官房長官、斎藤国家地方警察本部長官、春東京都副知事、田中警視総監と集合デモ取り締まりにつき打ち合わせた。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。