日本人の読み書き能力
教育使節団の国語改革案に喜んだのは国務省で、同使節団の派遣を担当した人物だった。ベントン国務次官は、バーンズ長官宛にメモを認める。
「私の判断するところでは、最も印象的だった点が一つあります。それは日本国民の読み書き能力がこれまで過大評価されてきたことを明らかにし、日本でアルファベット普及を勧告したことであります」
「この提案が採用されれば、日本人の生活様式の民主化に多大の貢献を齎すことになるでしょう」
「教育使節団長ジョージ・D・ストッダード博士に聞いたところでは、日本が自慢していた日本人の読み書き能力の高さは、これまた日本の神話に過ぎなかったのであります」
日本語改革の重要性
この覚書を書いた三日後、1946年4月22日の新聞発表で、ベントンは日本語改革の重要性を強調した。
その数日後、団員のウィルソン・コンプトンは、ベントンに手紙を書き、
「日本の国語改革は他のどんな提案よりも重要です。国語改革が行なわれなければ、他の改革は十分に効果を発揮できないからです。私個人としては、教育使節団の報告書は、国語改革についてもっと強い調子で書かれ、日本人に何等かの手を打たせるようにもっと激しい調子で挑んでもよかったと思っています」
と言った。
日本人の潜在能力
教育使節団が東京へ出発する前に、ワシントンで同団員に講演したサー・ジョージ・B・サンソムは、「報告書」を読み、自分の講演が全く無駄であったと思ったに違いない。
「小学校卒業時に、漢字を1000文字習得していれば、ましてやフリガナが使用されるならば、新聞の見出しを読む以上の読解力がある。この1000文字の知識は、非常に豊富な語彙を理解する基礎なのである。つまり、漢字を二文字合わせれば一つの単語が作れ、この1000文字の造語力は極めて厖大であるからだ。さらに、西洋の子供たちが語彙を増やしてゆくように、日本の子供たちも、小学校卒業後、読める文字を増やしてゆくのは、想像に難くない」
と使節団の無知に驚きを露にした。
サンソムの意見は、「人間一人一人には自由と、個人的、社会的成長とに対する計り知れない可能性がある」と信じ、教養も経験も十分に積んだ教育使節団員の間では、常識であるべきであったのだが......。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。