国語改革・断行

by 西 鋭夫 July 26th, 2016

断行への懸念


ホールの覚書は、タイプライターで打たれ、行間がびっしりと詰まっており、5頁もあった。ホールは、この覚書を陸軍省民事局長ジョン・H・ヒルドリング少将に送った。

ヒルドリングは、この提案は「現実的でない」と考えたが、国務省のユージン・H・ドーマンに意見を求めた。ドーマンは日本生まれで、流暢な日本語を話し、開戦前はジョゼフ・グルー大使の下、アメリカ大使館に勤務していた。

ドーマンは、

「漢字の禁止は実施出来ないと思う。出来たとしても、軍事占領下で漢字を撤廃したら、日本における知的、文化的研究に急激な制約を与えるばかりか、国家経済の正常な運営をも損ない、極めて深刻な影響をきたすことになろう」

と返答した。


ホールの決断


しかし、急激な国語改革論は根強かった。

1945年11月12日、初代CIE局長ケン・ダイク准将は、ホールに国語改革の任務を命じた。しかし、この後、間もなく、ダイクは本国へ送り帰される。

著名な米ジャーナリストのジョン・ガンサーによれば、「ダイクは速く出世しすぎて、妬まれ、追い出された」。

ホールは、1946年3月13日、教育使節団に日本語改革を説明し、「これは非常に物議を醸す問題である......。私が、GHQの一士官が日本国民を代弁しようとするのは不適当でもあろう」と語った。

不適当であろうとなかろうと、ホールは既に、日本語の大改悪を決断していた。


安藤正次の提案


ホールの後、通訳を通じて講演したのは、有名な国語学者で帝国学士院会員の安藤正次博士(戦前の台北帝国大学総長)であった。



230-2.JPG戦前の台北帝国大学の様子



安藤は、現在の日本語が「国民の知的水準の向上の妨げとなっている」と言ったが、「悪影響が起こるのを避けようとするならば、改革の試みは性急であってはならない」と忠告した。

そして、「最も時機に適った速やかな解決策」として、安藤は漢字数の制限を提案した。

安藤の常識に適った提案は、この歴史に残るような機会に実施するものとしては革新性がない、というのがホールの考えで、安藤案は二度と日の目を見ることはなかった。


この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。