「日の丸」掲揚
11月3日(明治節)、天皇は同法を公布し、1947(昭和22)年5月3日憲法が施行された。
今日まで、修正は全くされていない。
アメリカ憲法は、既に27条項の修正がなされている。
マッカーサーは、日本新憲法を「占領の最も重要な成果」と自賛した。吉田首相も、「太平洋戦争終結後の最も重要な改革である」と同意見を述べた。
マッカーサーがいかに嬉々としていたかは、彼の5月2日の吉田首相宛の書簡に現われている。彼はそれまで禁じていた「日の丸」の掲揚を許可した。
「国旗掲揚を、日本の恒久平和時代の到来を記念するものとせよ」。
吉田の印象
吉田も嬉々としている。
「日本国を代表して、閣下が日本国民に国旗掲揚を国会議事堂、最高裁、首相官邸および皇居の中で無制限に掲揚できるよう許可されたことに対し、私は深い感動と称賛の意を表明いたします」
「翻る国旗は日本国民に真の民主的で平和な国になるよう、より一層の努力を鼓舞することは間違いありません」。
「占領憲法」の怨霊
マッカーサーの武勇を疑う者は誰一人もいない。
だが、死が間近に迫り、己が歩いてきた道を振り返ると、悔いを残す行ないが亡霊のように現われてくるのだろう。
「私は、アメリカ製の日本憲法を作って日本側に押し付け、それを私の命令で採択させるということはしなかった。憲法改正は日本人自身が強制されずに行なうべきものだった」
と自伝の中に書き込んでも、自分が書いた「占領憲法」の怨霊から逃れきれない。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。