続・ゲイン潰し

by 西 鋭夫 October 29th, 2015

即時、国外追放



陸軍省は、11月28日、『シカゴ・サン』紙の編集局長からの報告として、「マーク・ゲインは純粋に経済上の理由で東京特派員の地位から外された」との電報をマッカーサーに送った。

しかし、『シカゴ・サン』紙は、「ゲインは帰国するか、アジアに定住するかが判然するまで、我が社の社員として扱う」との立場を堅持した。

マッカーサーはそれに満足せず、翌日、陸軍省あて機密電報を送り、

「ゲインは共産主義的陰謀の中心人物とみられ、彼の活動は占領政策に対して重大な脅威となっている。この地域での彼の活動は絶対に認められない。直ちに本国に帰還させることが望ましい」

とゲインの即時国外追放を強力に要求した。

この電報の直後、ゲインは『シカゴ・サン』紙を解雇され、特派員の資格も失った。

追撃


さらに、陸軍省は12月8日付マッカーサー宛の電報の中で、

「ゲインは最早『シカゴ・サン』紙の特派員でもなく、アメリカの一市民として極東で生活する法的資格はなくなった。できるだけ早くアメリカへの帰国命令を出すか、彼の望む他の地域に移住させてもらいたい」

と、マッカーサーを喜ばせる「人事処理」を伝えた。

マッカーサーと陸軍省の圧力の前では、ゲインが勝てるはずもなかった。

一方、ゲインは『コリアーズ』誌に同誌の日本特派員にしてくれるよう運動していた。それを嗅ぎつけたマッカーサーは、陸軍省にゲインからの申請があったかと尋ねた。陸軍省は、「そうした話はこちらでは聞いていない」と回答した。

同じ12月8日、マッカーサーは陸軍省宛に、「ゲインと彼の妻に対して、12月15日まで有効の上海への出国許可証が発行された」と伝達した。

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ゲインはカナダへ移住し、1980年来日した。1981年死去。

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。