地震・台風直撃
1948(昭和23)年6月28日、大地震がB29の空襲から立ち直っていない福井市を襲う。死者、3895人。
同年9月13日から17日にかけ、「アイオン台風」が関東・東北に上陸し、死者・行方不明者838人を出す。収穫前の田畑は壊滅状態になる。
日本経済を復興させよ
日本経済の復興を促進したほうが良いというアメリカ軍人もいた。
占領が始まったばかりの1945年10月初旬、GHQ経済科学局長クレイマー大佐は、マッカーサーの前で、「アメリカが日本で好ましくない産業を排除する姿勢を取っている限り、他の危険ではない産業に〈青信号〉を出しても良いと思います」と進言した。
クレイマーは「日本人の産業力、規律、正直さ」を高く評価して、「日本人は他の極東アジア人より遥かに優秀であり、生まれついてのアジアの指導者である」と言い、「1960年までに日本は世界貿易面でかつてないほど大きな地位を占めるであろうし......海外貿易でアメリカおよびイギリスにとって重大な競争相手となろう」とさえ予見した。
原爆の使用についてもクレイマーは、アメリカ政府が原爆を戦争終結の理由に使ったが、「原爆は降伏をわずか数日早めただけだった」と論じた。
彼の率直な見解は、マッカーサーを怒らせたに違いない。
経済抹殺の担当者
2カ月後、クレイマーは日本から追い出され、本国アメリカへ帰国した。
代わって、日本軍の攻撃でフィリピン・バターン半島で撤退(夜の闇に隠れ逃げた)という屈辱を嘗めさせられたマッカーサーの側近ウィリアム・F・マーカット少将が日本経済抹殺役の経済科学局長となった。
財閥解体は間違いだった
もう1人の日本経済促進論者は、マックス・W・ビショップ。彼は1946年1月、マッカーサーの政治顧問アチソンにGHQの財閥解体は、極度の経済危機を齎し、それが共産主義を助長することになろうと忠告した。
また戦前、ジョセフ・グルー駐日アメリカ大使の書記官で、1946年当時政治顧問事務室(POLAD)に駐在していたロバート・A・フェアリーも、国務省とアチソンに、「日本の経済悪化の責任は、明らかにアメリカの対日経済政策にあり、これは日本で共産主義擡頭を促すことになろう」と言い、財閥解体を中止しなければ、「現在日本国民が持っている、親米、親民主主義、反ソ、反共産主義の態度が転換する」と警告した。
彼の報告書は秘密扱いにされずにワシントンに届いたが、到着後直ちに「機密」のスタンプを押された。
陸軍省軍事情報局も同様な見解を示し、「日本におけるアメリカの威信は疑いもなく、日本が直面している経済問題を解決できるかどうかにかかっている」と判断した。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。