起源
日本における拷問の話をしだすと皆さん、数百年ほどは遡らないといけませんが、よくよく調べると一千年前、一千五百年前の歴史までいくかもしれません。日本における拷問がどんどんと巧妙になっていくのは、特にスペインとポルトガルの宣教師たちが来て、新しい拷問を教えてくれたからです。
それまではどんなことが行われていたのか。一つは、犯罪人には刺青を入れる、ということをやっておりました。墨を使い、針を5~6本でグサグサと刺して、そこに墨で色を入れていくわけです。ある所では悪いやつだからと「悪」という漢字を刺青しておりました。
これは権力による罪人として烙印です。罪を犯した者に刺青を施すのは、単なる懲罰ではなく、社会から逃げられないようにするための可視化、つまり「お前は罪人だ」と一目で分かるようにする制度だったのです。名前を書き、土地を移動しても、身体に刻まれた印だけは消えません。
犯罪者の身体に墨を入れるという行為が、江戸から明治、そして戦後に至るまで、無意識のうちに日本人の感覚に刻まれていったのだと思います。そのため、刺青を見ると「怖い」「近寄りたくない」「危ない人かもしれない」という反応が出るのです。

芸術としての刺青
ところが皮肉なことに、社会からはじき出された人間たちが、逆に刺青があることを誇りとしながら、その芸術性を極限まで追求していった。その結果、日本の刺青は犯罪の印でありながら、同時に世界最高水準の芸術にまで高められていったわけです。犯罪と結び付けられたからこそ、あそこまで徹底して美に向き合った、私はそう見ています。
私の小中のお友達でやくざさんになられた人がいます。手首のこの辺から足首のこの辺まで、そして背中は全部、総刺青でした。私がアメリカから帰ってきたので同窓会を開いて、彼も呼ばれました。私と彼は仲が良かったので、2人で温泉に行きました。鳥取の方の温泉です。そうすると男風呂の入り口に「彫り物のある方はお断り」と書いてあります。
友達は紙をちらっと見ましたが、がらっと開けて温泉に入って行きました。中にいた5~6人の男性が同時に立ってワッと出ました。すなわち、刺青があるというのはやくざか悪いやつかだと思われているのです。しかし私にその感覚はほとんどありませんでした。家の近所にいた刺青のおじさんや友達の刺青など、私は芸術だと思っています。いや、本当にお見事なのです。日本の浮世絵のような感じでした。
世界に誇る芸術性
アメリカでも今、刺青が流行っております。それで時々、見かけるのですが、残念なことにとても下手な絵が入っております。本当に刺青が好きなアメリカ人は、男も女も日本に来ています。日本に来て、日本の刺青をするのです。
少し古い話ですが、ロシアの最後の皇帝ニコライ二世が日本に来た際、長崎に立ち寄り、刺青を入れたことは有名です。彼はその時はまだ皇太子でしたが、刺青を入れてもらうのが待ち遠しかったようです。彼も彼のお付きたちも刺青を彫ってもらいました。それほど日本の刺青のレベルは高くて、芸術、美学、美術の世界です。
私もガキのころからずっと見ていた刺青はみんな格好いいし、美しかったです。そして色もたくさん入っていました。皆さん、昔は針でブチブチと突いていましたので、それに耐えられるというのは相当のど根性です。
西鋭夫のフーヴァーレポート
拷問の歴史(2021年7月上旬号)-3
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

