マッカーサーへの手紙
日本外交の大失態は当時のソ連を信頼してしまった、という点にあります。結果として、戦争が終結したにもかかわらず、ソ連から帰国できない人々が数多く存在しました。日本で待つ家族はどんなに心配で、不安な日々を過ごしたことでしょう。
この状況に対し、当時の日本人たちはある行動を起こしました。個人名で「マッカーサー元帥殿」などと手紙を書くのです。私の友人で、非常に優秀な弁護士の先生がおられますが、小学校時代のことを教えてくれました。担任の先生が「皆で一緒にマッカーサーへ手紙を書こう」と提案したそうです。
内容は「シベリアや満洲に抑留されている日本人を、どうか早く帰していただきたい」というものでした。この弁護士の先生が小学2、3年生のときです。先生は「マッカーサー元帥様」だけでは足りないと思い、「殿」までつけて「マッカーサー元帥様殿」と書いたのだそうです。
そんな手紙がGHQには何万通と届いたようです。
情報分析力
この手紙を受け取ったマッカーサーは「よし、これは一度、スターリンとぶつかってやろう」と考えるようになりました。その頃はすでに冷戦が始まっており、ソ連は常に北海道を狙っていました。マッカーサーはソ連に対して強硬な態度をとりながら、日本人たちの声に応えようとしたのです。
ところがスターリンはそんな言葉に耳を貸しませんでした。「俺の庭に捕虜がいるのだ。誰が帰すか」という態度で、完全に門前払いでした。当時のアメリカも日本も、ソ連に対しては見誤っていたのかもしれません。すなわち情報の誤認です。スターリンがいかに情勢を捉え、何を目的としているのか。そうした情報を収集し、それをどう分析して判断に結びつけるかという情報分析力が欠けていたように思われます。
皆さん、アメリカのアフガンからの撤退劇を思い出してください。あれも実は情報は入っていたのです。問題はそれをどう判断するかです。ここを誤ったのがバイデン政権です。それに助言していた参謀たちも、完全に判断を誤った。そして今になって「情報機関の責任だ」と言っております。私は「何を言っているんだ。その情報から最終決定を下したのはお前たちだろう」と思います。
日本帝国軍の失敗
同じことが大戦を始めた日本にも言えます。「大本営、あの戦争はおまえたちが決めたのだろう。情報が悪かったとでもいうのか。情報はちゃんと入っていたのではないか」と、私は言いたい。
たとえば真珠湾です。あそこを攻撃すればどうなるか、日本の陸軍スパイが事前に詳細な情報を持ち帰っていました。その報告にはこう書かれていました。「アメリカとの総力を比較すれば、アメリカは100で、日本は1です。具体的には、石油、鉄、食糧……」と長いリストが添えられており、「ゆえに戦争は避けた方がよろしい」という分析結果が報告されておりました。
ところが大本営の答えは、「こんなものは役に立たん。大和魂がこのリストに書いていないではないか」と。何度も進言されていたようですが、戦争に突入しました。日本は米国を過小評価していたのです。情報を軽んじ、大和魂だけで乗り越えられると思い込んでしまった。その結果が、あの敗戦と数多くの犠牲なのです。
西鋭夫のフーヴァーレポート
シベリア抑留(2021年9月上旬号)-6
この記事の著者

西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。