イエズス会
日本を訪れた異人たちは切腹を含む日本の武家社会のあり方をどのように見ていたのでしょうか。キリスト教が広まった戦国時代に注目したいと思います。
ローマ・カトリックのイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル(1506〜1552)が鹿児島に上陸したのは1549年です。イエズス会はキリスト教の布教のため、力のある大名たちとの関係を持ち始めました。彼らは幾度となく武士たちの切腹を目撃したのではないかと思われます。
宣教師たちはそこに大きな嫌悪感を抱いたはずです。なぜならキリスト教において自殺とは犯してはいけない大罪であるからです。しかし同時に「おい、そんなこと、どうして自分で出来るのか」と驚愕したはずです。
切腹という儀式
宣教師たちは戸惑いました。大罪であるはずの自殺が、自ら腹を切り裂く行為であるのと同時に、美しく整えられた場所で行われたからです。そこでは礼儀正しく、皆が見ている中で、切腹が行われました。戦場という場であっても、敗軍の将による切腹はきちんとその場を設定し、大切な儀式として行われておりました。
私たちが今、その儀式を見たら、おそらく最後まで見ていられないと思います。しかし当時の人は見たのです。そして宣教師たちも偉いお侍さんと一緒におりましたので、目の前で見ることになったのでしょう。宣教師たちは「こんな民族がいるのか」と理解できず、心の中は不安な気持ちでいっぱいだったのではないでしょうか。
文化的崇高さ
宣教師たちは最初、彼らを「野蛮」な民族と考えたのだと思います。自殺するなどもっての他と考えていたイエズス会ですから、日本人に対する精神的優越性を抱き、改宗させなければならないとの使命感を持ったはずです。
しかし切腹という儀式の崇高さ、礼儀正しさ、清潔さに彼らは愕然とするわけです。自殺する当人たちは真っ白な装束に着替えます。刀もピカピカに磨き、刃も研ぎ澄ましておくのです。当人はその場に鎮座し、やがて自ら腹を裂きます。そしてその痛みから解放するために、介錯により首が切り落とされるのです。この一連の動きや流れに宣教師たちは驚かずにいられませんでした。
その一方、野蛮であるはずの日本人たちは読み書きに優れ、複雑な文字も操っておりました。侍たちが着る服にも目を奪われました。ヨーロッパのように黒や紺、グレーではなく、赤などの色彩豊かな着物を着ていたのです。日本文化における色彩の豊かさ、そしてそれを綺麗に着こなす男たちに宣教師たちは感動しました。「こいつらはアジアで一番、優秀なのではないか」「もしかすると、ヨーロッパ人よりも優秀なのではないか」と考える宣教師もおりました。
西鋭夫のフーヴァーレポート
武士道と切腹(2020年11月下旬号)-3
この記事の著者
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西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
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1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。