戦争協力
731部隊には、日本のエリート大学で研究していた医師や科学者たちが集められていました。彼らは国家のため、そして戦争に勝つために研究を行っていたのです。国立大学はその名の通り、日本という国家に奉仕していました。国家と一体であったと言えます。
皆さん、今でこそ「大学が戦争に協力するなど何事か」と問題視する方々がたくさんおられますが、当時の時代状況などからよく考えてみてください。戦争になると国は一致団結しなければいけません。負けることが一番惨めであり、勝たなければいけないのです。それゆえ、国全体をあげて戦う、協力し合うのは当然と言えるでしょう。
ましてや国立大学です。国の税金で運営している大学なのです。戦争反対などできるはずがないでしょう。実際、医学部だけでなく、大学全体がウォーッと戦争に乗り込んで行きました。
左翼化
しかしそれが失敗して、ドタッと負けると、今度は非常に大きな自責の念に襲われました。それで戦後の国立大学はあたかも「国」を否定するかのように、急激に左翼化していったわけです。知識人と呼ばれる先生方や、学生たちは社会主義や共産主義にドッと流れていきました。京大などは共産主義の総本山になってしまいました。あれだけ戦争に協力していたにもかかわらずです。
では戦争に勝っていたらどうなっていたのでしょうか。どれだけの人間に対して生体実験を行ったのか。数で言えばナチスには到底及びませんが、質的には同じようなことをしていたわけです。しかし戦争に勝っていたらそれは不問なのでしょうか。自責の念は無くなるのでしょうか。国家を否定し、左翼化に走ったのは負けたからです。敗戦が日本の形を大きく変えたのです。
満州からの脱出
敗戦が決定的になった段階で「731部隊」はどうなったのでしょうか。満洲から脱出することは出来たのかどうか、気になる方も多いと思います。
答えは、731部隊だけが満州から無事に、そして丁寧に輸送までしてもらって脱出した、ということです。東京の大本営から、「もう負けることが分かったので、広島・長崎に原爆が落とされたから早くそちらから出てこい」と連絡がありました。そしてソ連のスターリンが満州に入ってくる前に「研究文書を燃やして、逃げろ」となりました。ある人は自分のバッグに書類を入れて持ち帰ってきましたけれど、ほとんどは燃やしました。
特別列車で港まで行き、そこでまた特別の飛行機に乗って東京に戻ってきました。天下の国立大出身の先生方です。大切に扱われました。満州に残され、命からがら逃げた人々はたくさんおります。陸軍の兵もたくさんおりました。その中での特別な脱出劇です。トップの人たちの逃げ足の速さというのは今も昔も変わっておりません。
西鋭夫のフーヴァーレポート
731部隊とウィルス研究(2020年9月上旬号)-3
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。