移民政策の知られざる真相

by 西 鋭夫 July 29th, 2024

貧困

新政府による移民政策ですが、日本国民全体が対象となったわけではありません。そこには明らかな違いがありました。実際の統計で見てみますと、移民が多かった都道府県は1位が広島県、2位が沖縄県、3位が熊本県でした。そのあとは福岡県(4位)、山口県(5位)と続きます。

この順位が示すもの、それは20世紀初頭における各都道府県の貧しさです。皆さん、想像してもらえば分かりますけれど、日本は長い間、農業国だったわけです。1900年初頭ももちろん農業国です。当時の日本では輸出が出来るような絹なども出てきましたが、一般の人たちが食べるものは畑と田んぼで収穫されたものでした。

しかし、日本の土地に関する法律は、日本の「家」制度が中心でしたから、長男ばかりが重宝される状態でした。すなわち、土地を取得したり、受け継いだりすることができるのは長男に限られていたのです。そのため、次男から三男、四男がドーッとあふれていたわけです。仕事がない地方や田舎ではそれが顕著でして、たくさんの若者たちが仕事を求めて大都市に移住し始めました。それでも仕事がない場合は、移民として諸外国に行くことを決断したのでした。

 

琉球王国の末裔たち

移民の割合が多かった沖縄にはまた別な理由がありました。沖縄は琉球王国として長い歴史を持っておりましたが、薩摩に征服され、明治時代には沖縄県になりました。

その沖縄もどんどん人が増えていくわけですから、人々は仕事を求めて沖縄から出ようとします。しかし、琉球王国では琉球語という言葉が使われておりましたし、日本よりも中国と親密な関係を築いておりましたから、シナ語を話す人たちもたくさんおりましたので、まずは言葉という点で大きな差別を受けます。なお、シナ語とは中国語のことを指しますが、シナという表現は当時、差別用語ではありませんでした。

琉球王国の人たちの肌の色や容姿も、日本本土の人たちと少し違います。それも差別の対象となりました。ですから、日本国内にて働こうとしても、なかなかうまくいかなかったわけです。そんな中、沖縄に住んでいた人たちの多くが国外への移民に活路を見出しました。

 

徴兵か、移民か

もう一つの大きな要因は徴兵制でした。日本における徴兵制は1872年に始まりましたが、徴兵といっても国民からはほとんど理解されず、人気もありませんでした。1872年と言えど、当時の皆さんはまだまだ侍を覚えている世代です。一般人が兵として戦うなど、なかなか想像できなかったと思います。

さらに日本全国では急激に人口が増えている時です。農業国である日本では、特に力仕事のできる男子は重要な労働力でした。「私の大切な息子を兵隊に出すとは何てことでしょう。大切な労働力なのに、畑や田んぼはどうするのですか」と、全国で大問題になりました。

警察が出てきて怒るわけですが、それでもおさまりません。そこで「兵隊に取られるぐらいだったら、ブラジルへ行こう。アメリカに行こう。満州に行こう」となりました。それで日本からの移民が世界へとワッと広がっていったのです。

 

西鋭夫のフーヴァーレポート
日系移民の悲劇(2020年5月上旬号)- 3






 

 

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

人気の投稿記事

ミャンマーと北朝鮮

アジア最後のフロンティア 北朝鮮の今後の動向を予測する上で、東南アジアにあるミャンマーは一つのポイントです。ミャンマーはアジア最…

by 西 鋭夫 November 8th, 2021

中朝関係の本当の姿

水面下でのつながり 中国が北朝鮮の核実験に対して、断固反対すると声明を出しました。しかし、中国の習近平政権と、北朝鮮の金正恩政権…

ミサイル / 中国 / 北朝鮮 / 核実験 / 米国

by 西 鋭夫 November 1st, 2021

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。