ベジタリアン
ヒトラーはタバコも吸わず、お酒も飲まないというイメージがありますが、その一方で麻薬中毒者であり、ベジタリアンでもありました。どんな精神構造なのかと、私も半信半疑ではあったのですが、さまざまな本や論文で調べると事実のようです。
その経緯は次のようなものだったと言われています。彼が42〜43歳の時の話です。姪が21歳で、非常に綺麗でして、ヒトラーは大好きだったようです。それで一緒に食事をしていたところ、その姪が「私、恋に落ちてしまいました」とヒトラーに明かすわけです。ヒトラーはもちろん「その相手は俺だろう」と思っていますが、話を聞いていると、その相手が自分の車のドライバーであることが発覚しました。ヒトラーは当然の如く激怒しました。姪は恐ろしくなって恋仲の運転手と共に車に乗ってどこかへと行ってしまいました。
その後、24時間ほどしてヒトラーは、姪が拳銃自殺で亡くなったという報に接します。ヒトラーはショックで、2、3日、ご飯を食べることができなかったようです。それ以来、ベジタリアン(菜食主義者)になったと説明されていました。よほど大きなショックだったのでしょう。普通のご飯を食べることができず、やっと食べることができたのが野菜だったのかもしれません。薬物についても、その時にどんどんと深みにはまっていってしまったのかもしれません。
相性
過度な一般化はもちろんできませんが、私は国によって相性の良い食べ物や薬、嗜好品などがあると思っています。例えば、イギリスであったら紅茶、日本では酒とタバコ、といった感じです。アメリカはウィスキーとバーボン、それからモルヒネで、中国は歴史的に茶とアヘンと言えるかもしれません。
ドイツの場合は、アヘン系、モルヒネ系の薬が出回りまして、ドイツ国民はこれが大好きでした。一般の人が好んでいたのです。町でも普通に売っておりました。
日本でも昔、ヒロポンという興奮剤が売っておりましたが、戦争に負けたことでなくなりました。それまでは頭痛を抑えるための薬として、一般的に用いられておりました。ただ、中国やドイツと異なり、日本ではあまりアヘンが普及しませんでした。明治時代からすでにありましたが、日本人には受け入れられなかったのでしょう。
コーヒー
嗜好品としてのコーヒーについては、ユダヤ人を抜きに語ることができません。キリスト教圏でコーヒーが飲まれるようになってから、その存在にいち早く注目し、コーヒーを商売として成功させたのはユダヤ人です。
世界初のコーヒー屋さんは1600年代にユダヤ人によって始まりました。コーヒーとユダヤ人の相性も良かったのでしょう。コーヒーブームに火がつき、あっという間にヨーロッパ中へと広まりました。
コーヒーとユダヤ人の関係を知りながら、それを虐殺のための道具として使ったのがナチスドイツでした。
西鋭夫のフーヴァーレポート
ヒトラーと麻薬(2019年12月上旬号)-2
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。