太平洋戦争末期
日本の都市はもともと道路が狭く、密集しておりました。また昔は木材の家がほとんどでしたので、火災が起きると被害がどんどんと拡大していきました。
戦時中の爆撃であればなおさらです。太平洋戦争末期、日本各地の都市を狙った無差別爆撃の悲劇は忘れることができません。その最たるものが東京大空襲でした。10万人以上が亡くなったとされておりますが、私はこの数字、ほとんど信用しておりません。以前は10万人ではなく、何十万人と言われていましたが、私は30万人は亡くなっていると考えています。
アメリカ空軍の爆撃により、東京は壊滅状態だったわけですが、これだけの被害が出たのには理由があります。まずは道が狭く、住宅が密集していたので逃げ場がなかったことがあります。もう一つは爆撃の方法です。アメリカ空軍は東京を見て、人々が逃げられないように、四角のマスを作り、そのふちをまず爆撃しました。使われたのは焼夷弾です。ガソリンがゲル状態になっていて、肌に付いて燃える爆弾です。それをワーッと四隅に落として逃げられないようにしました。それを何日も繰り返し、東京は完全に焼け野原となりました。
戦後報道の偏り
焼け野原になったのは東京だけではありません。横浜や名古屋、大阪のほか、軍事拠点があった中小都市もやられました。相当な被害が出ております。それを誰も言わない。
原爆の被害は甚大です。一瞬で全て奪いました。しかし、東京や横浜などはまた別な方法で、ゆっくりと、逃げ場をなくして閉じ込めながら、計画的に焼き殺しているのです。原爆の被害だけを私たちはずっと言い続けていますが、それは違うでしょう。無差別大空襲とその被害についても、真相をしっかりと解明し、後世に伝えていかなければなりません。
カーチス・ルメイ
問題は東京大空襲を指揮したアメリカ空軍のカーチス・ルメイです。戦後、日本は彼に、勲一等旭日大綬章(くんいっとうきょくじつだいじゅしょう)という勲章を与えています。
私は彼の名前を聞くだけで、ここにあるコップを投げたくなるほど憤慨しております。日本はどこまでアホなのでしょうか。東京大空襲などの無差別攻撃によって何十万人も死んでいるのです。それを企画し、実行した本人がカーチスくんです。なぜ彼が勲章に値するのでしょうか。
最大の理由は、航空自衛隊の発展に寄与した。すなわち功労者ということのようです。いろいろな作戦を授けただけでなく、組織的なアドバイスを多く行ったことのようです。
おい、俺たちはそこまで落ちたのか。俺たちはそこまでバカなのか。そう考えざるを得ません。
西鋭夫のフーヴァーレポート
国土復興と防衛(2020年3月上旬号)-5
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。