愛国心
国を愛する心、すなわち愛国心というものは人間の成長において大切です。しかし「愛国心」が免罪符のようになって、あらゆることが許される状況は間違っていると思います。愛国心を説きながら、憎しみや暴力が起きることもありますね。愛国心とは諸刃の剣なのです。使い方を誤ると問題になります。これはアメリカでも、中国でも同じです。ましては日本もそうなっては困ります。
比較の観点からいえば、日本では愛国心に対してブレーキがかかっている状況であると言えるでしょう。人種的な違いのことを言うつもりはありませんが、私たち日本人は他の民族と少し違うのです。それは島国であることと、随分と長い間、私たち自身で鎖国を続けていたことに影響を受けております。
そのため、日本では世界的にも稀に見る独特の文化と信条が生まれました。人の顔を読む、心を読む、雰囲気を読むなど、「空気を読む」こともその一例です。これが自然にできるのが日本なのです。
いかに愛国の心を養うか
ゆえに、1つの政治団体が愛国心を盾にしてやりたい放題する、というのはこの国ではおそらくないでしょう。と言うより、出来ないといった方が正確かも知れません。
ただ問題は、愛国心が暴走するのではないかという恐れがあるために、その愛国心までも潰そうとする動きがあることです。それは非常に恐ろしい未来を招きます。すなわち、私たちの心から日本に対する想いが消えていくのです。そうなったら本当に終わりです。
では、愛国心を潰さないようにしながら、いかに育むか。私は一つには、日本にあるこの素晴らしい文明、文化、それから人財を見つめ直すこと。そして、それらをどんどんと活用していくことに活路があると考えています。その実践は、私たちが辿ってきた歴史を、良いところも悪いところも全部含めて教えていく、伝えていく、という姿勢から始まると思います。
慈しむ心
「愛」という言葉も、英語ではLoveですが、日本人の「心」を見つめ直していくと、再検討が必要かもしれません。
三島由紀夫はかつて「憂国」という言葉を使っていましたが、それが日本人の「愛」の中身なのかもしれません。すなわち、相手を慕っていくような、慈しむような、そんな態度であり、気持ちだと思います。それを大切にするということですね。
「愛」という言葉は、いわば輸入された「民主主義」と似た側面があるのではないかと思います。どちらも明治期に入ってきたものですが、私たちには実感もその経験もないのです。西欧由来の言葉を使って自分たちを語るのではなく、私たち自身が培ってきた発想や考え方でもって自分たちを語ることも大切です。
西鋭夫のフーヴァーレポート
2019年4月上旬号「愛国心と教育」-10
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。