教科書
日本はなぜすぐに「教科書」にこだわるのでしょうか。これは一種の病気です。教科書がなかったら勉強ができない、と思っているのです。
道徳の教科書も例外ではありません。なぜ人の生き方に関わる授業を行う際、教科書が必要なのでしょう。例えば、日本各地には素晴らしい伝説や神話がたくさんあります。地域特有の伝統・文化もあるでしょう。そういったものを道徳の授業の中に入れていくことは出来ないのでしょうか。そこには私たちが本当に大切にすべきものが山ほどあります。教科書を使って道徳をやっても「豊かな心」は育まれない。そう思います。
教科書が「国定」、すなわち国が定める教科書である、というのも大きな問題だと考えます。ここは危機感をもって捉えた方がよい。道徳という一つの大切な価値を、何か1つの「形」へと結集させようとする力が見て取れるからです。
洗脳
道徳だけではありません。これだけ情報が溢れている中で、日本では未だに国定教科書でもって歴史や国語を教えているのです。子どもたちの試験問題もここから出題されるわけです。すなわち、その問題の答えは、国定教科書の中にあるのです。
成績が悪いと、子どもたちはその教科が苦手だと錯覚します。でもそれは苦手にさせられているのです。その間違いは単に、国が定める正解に辿り着かなかっただけのことなのです。
教科書は廃止し、それぞれの学校に教科作りや教科書選びを任せることにしたらどうでしょう。子どもたちには好きなことをどんどんと、あらゆるリソースを使って教えていく、学んでいく、そうした方向性も同時に作っていくのはどうでしょう。教科書が無くとも、子どもたちはコツを掴めば一人でどんどんと調べて、物事を吸収していきます。
近現代史の重要性
日本人の愛国心を育むには、道徳よりも、近現代史をしっかり学んだ方がよい。日本では近現代史をほとんど教えていませんね。
皆さんも経験したでしょう。縄文、弥生から始まり、そこからずっと歴史を遡って、江戸時代まで来て、ペリーが来て、明治になる。そこでだいたい学期末の3月になります。明治以降の歴史が教えられていないのです。これを、小中のみならず、高校までやっているのです。
近現代史を扱うことに何か問題があるのでしょうか。隠すことがあるのですか。醜いことも美しいことも、甘いことも渋いことも、全部含めて歴史の中に入っております。これを全て余すところなく教えるのです。いろんなことが分かってきて、初めてこの日本の美しさや素晴らしさがわかるのです。その教育をやらずして、国定の道徳教科書を作るというのはズレていると思います。
西鋭夫のフーヴァーレポート
2019年4月上旬号「愛国心と教育」-9
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。