日本の場合
アメリカではキリスト教の価値観が社会に浸透しておりますが、日本ではそもそもキリスト教があまり広まりませんでした。もちろん、ザビエルの時代からGHQによる占領期に至るまで、幾度となくキリスト教化の動きはあったのですが、ことごとく失敗しています。
そのことも手伝って、日本では同性愛者を迫害するような事態は生じておりません。外国人の同性愛者からすれば、日本は夢のようなところかもしれません。
日本ではまた「同性愛」に似た感情が、文化的に育まれてきたと言っても過言ではないかもしれません。例えば歌舞伎です。皆さんご存知だと思いますが、その中の「女形」は男が演じていますよね。それが抵抗なく大衆文化の中で受け入れられてきたのです。
修行僧
日本における仏教の僧侶や修行僧は、結婚もせず、女性を遠ざけてきたというイメージがあります。しかし煩悩に打ち勝つことは至難の技だったはずです。実際、多くの「抜け道」がありました。
そのうちの一つが、若い男の子との性的関係です。それは批判されることなく、信仰を汚すものだともほとんど思われていなかったのでしょう。近くの村の若くて、かわいい男の子が性の対象となっておりました。それがずっと続いてきました。宗派によっては厳しい女人禁制度をとっていたように思いますが、そこには男同士の性も含め、様々な理由があったのだと推察されます。
それでも高僧になるまでは自由がなかったかもしれません。その場合は、食欲を抑えることで性欲に抗おうとしていたのだと思います。食欲と性欲は一緒であると聞いたことことがありますが、長い間絶食すると、性欲までなくなるそうです。しかし仏教の僧侶たちは一生懸命に座禅を組まれますし、お祈りをされますから、必要最低限の栄養は必要です。そんな中で発明されたのが精進料理なのでしょう。
宣教師の極秘ミッション
村社会の中の若い男の子は、日本にやってきたイエズス会の宣教師たちからも目をつけられておりました。彼らのミッションは布教だけではありません。イエズス会は「かわいい男の子を私たちのもとへ送りなさい」と宣教師たちに命じておりました。
それで実際に7、8人が送られていきました。カトリックのお偉い様方は若い美男子が好きなのです。ローマに着いたあと、男の子たちは豪華絢爛な日本の和服に着替えさせられ、ヨーロッパ各地で見せ物のように扱われておりました。
西鋭夫のフーヴァーレポート
2019年2月下旬号「LGBTと武士道」-3
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。