時間という距離
新たな時代の到来は、歴史の見直しにとって重要な意味を持ちます。というのも過去の出来事を正しく、そして客観的に捉えるには時間的な距離が必要だからです。今現在起きていることについては客観的に見ることが出来ません。これが歴史学の鉄則です。
日本現代史で考えてみると、私たちはようやく「昭和」という時代に向き合い始めました。平成という時代が三十年ほど過ぎたことで、私たちと昭和との間に時間的な距離がひらいたのです。距離が出来て、過去を初めて振り返ることができるのです。
150年前の明治のことも同じです。大正時代、昭和初期には正しく振り返ることが出来なかったのではないでしょうか。しかし今であれば、150年という時間的距離の中で、私たちは明治という時代を冷静にじっくりと捉え直すことが出来るのです。
虚像
具体例を挙げましょう。私は坂本龍馬という男を徹底的に調べましたが、私たちが知っている「坂本龍馬」は幻想であり、作られた存在であることが分かりました。明治以降、龍馬はずっと神格化され、英雄視されてきたわけですが、私は彼の「お金」の出所に注目して調べました。
フォロー・ザ・マネー、つまり「そのお金はどこから来たのか」と問うたわけです。そうすると、龍馬伝説はガラガラと一瞬で崩れてしまったのです。
私が明治の生まれだったらそんなことは出来ないでしょう。日本の戦後、60年代、70年代でも出来なかったことだと思います。明治という時代から時間が経ったからこそ出来るのです。
歴史との向き合い方
日本国憲法や東京裁判についても本格的な見直しができるようになったのは、ある程度の時間が経ったからです。直接関与していた人たちがいなくなり、客観的な目でもって残された資料と向き合うことが出来るようになりました。
詳しく見ていけば行くほど、いわゆる秘密文書みたいなものがいっぱい出てきます。それらをじっくりと紐解いていくと、「あれ、聞いていた話と大きく違う」ということも多々あります。それが歴史学の醍醐味ですが、私はそれがとても楽しみです。
それと同時に見たくもないものもたくさん出てきます。それらが明るみに出ると、多くの日本人が傷つくのではないかと悩みます。しかしそこで情緒的になると学者としては落第です。学者は嫌なことでも、見たくないものでも、書かないといけない。
西鋭夫のフーヴァーレポート
2019年1月上旬号「平成史と元号」-5
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。