From: 岡崎 匡史
研究室より
前回の「靖国神社臨時大招魂祭」で触れたように、GHQの機関である民間諜報局(Civil Intelligence Section, CIS)の責任者エリオット・ソープ准将が、「民間情報教育局は、靖国神社の大祭をあのようにやらしておいてよいのか」と、ダイク大佐に詰め寄った。
1945(昭和20)年11月19日の出来事である。
猜疑心の強いソープは、東條英機など戦争犯罪人を逮捕する指揮官として恐れられていた人物。ダイク大佐は、「明日自分が見分に行くことになっているから、よく見た上で善処する」と、ソープに返答して逃れた。
ソープとの話し合いの都合上、ダイク大佐は「早急に靖国神社をつぶさざるを得ない羽目に追い込まれる恐れ」があった。
これを聞きつけたGHQ宗教顧問・岸本英夫は靖国神社から軍国主義的色彩を消すことに奔走する。
説得
岸本が靖国神社に到着したとき、前夜祭は既に終わり日が暮れていた。
陸海軍将校の祭典委員が20〜30人ほど集まってビールを飲んでいた。
岸本は、彼らにGHQに内情を説明する。
「今日こうやって賑やかにお祭りをしておられるが、問題は明日にあります。もし明日お祭りがあんまり派手な軍国調になると、靖国神社や護国神社の将来が、大変むずかしいことになる」
しかし、将校たちは岸本の話に耳を貸そうとはしない。
「アメリカがなんだ。我々にサーベルをはずさせた上に、まだそれでも足りないで、戦死者をとむらう祭りまでやめさせると言うのか」
将校たちは敗戦の鬱憤が溜まっており、戦死者を弔うことにGHQが介入することを許容できなかった。
押し問答
岸本と将校たちの間で、一時間ほど押し問答が続く。岸本は忍耐強い。
岸本は「もし今後の靖国神社の運命に万一のことがあったら、あなたがたは、いったいどうする気なのですか」と詰めよる。
彼らをなんとか説得して祭典から軍国調を取除き、軍人は一般市民と同じように背広を着るように約束させた。
さらに、大日本神祇会の伊達巽(だて たつみ)から靖国神社の横井権宮司に対しても、同様の助言を行う。
「米軍側の意向は、一応靖国神社の祭典などの在り方を、自由に泳がせて置いてみて、その結果によって、将来の存廃などを検討するとのことなので、この際はむしろ、軍学隊の奏楽をはじめ、陸、海軍軍人が綺羅星の如く、参列したりして執行するよりも、奏楽は雅楽などで、純古典的に奉仕して、米国側の印象を好くした方がよい」
翌日、靖国神社から派手な軍国主義的色彩は取除かれて、静かで厳かな雰囲気となっていた。
ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
・国立国会図書館調査及び立法考査局編『新編 靖国神社問題資料集』(国立国会図書館、2007年)
・新宗連調査室編『戦後宗教回想録』(PL出版社、1963年)
・小林健三、照沼好文『招魂社成立史の研究』(錦正社、1969年)
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prideandhistory_admin
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