From: 岡崎 匡史
研究室より
第二次世界大戦中、「靖国神社」は軍国主義の温床であるとアメリカでは信じられていた。
日本が敗戦を迎えると、米国の国務省では靖国神社は廃止すべき軍国的神社(Military Shrine)として議論の対象となっていた。
GHQ内部の極端な意見では、「工兵隊によって社殿を爆破してしまえという声すらあった」のである。
岸本の改革案
GHQの宗教顧問を務めた岸本英夫は、靖国神社を存続させるために奔走する。
岸本は、靖国神社の権宮司・横井時常(よこい ときひさ)に対して、次のように助言をする。
「米軍側は靖国神社の職員全員を戦争指導の責任者として、総入れ替えを検討している」「靖国神社の内容、並びにその体裁を記念碑なものにすることが、最も望ましい」
岸本はこうした内部情報を事前に靖国神社に伝え、具体的な改革案まで提示した。
「陸海軍の管轄より脱すること」
「祭神を戦没者に限らず、国家公共の為に倒れし一般文化人をも広く抱擁すること」「宮司を陸海軍人たらしめざること」
「名称の変更」
岸本は焦っていた。1945(昭和20)年10月の段階から戦没者を靖国神社に合祀することが協議されていたからである。
臨時大招魂祭
陸軍省・海軍省が靖国神社が廃止される前に、戦没者を合祀したい。
1945(昭和20)年11月19日から21日にかけて「臨時大招魂祭」を挙行することが決まった。そして、11月20日には、昭和天皇が靖国神社に親拝する手はずが整えられた。
これを知ったGHQ民間情報教育局の局長であるダイク大佐は、靖国神社の実態を知るために、部下のウィリアム・バンス宗教課長と一緒に見学することになった。すぐさま、日本側にも連絡が届いた。
昭和天皇が靖国神社に訪れる大祭の前夜、11月19日の夕方に深刻な問題が起こる。
バンス課長は岸本に「あなただけに内密で知らせておきたいと思うことがある」「実は、靖国神社の件で、ちょっと面倒なことが起こっている」と耳打ちした。
GHQの機関である民間諜報局(Civil Intelligence Section, CIS)の責任者エリオット・ソープ准将が、「臨時大招魂祭」の現状に介入してきた。彼は、戦争犯罪人を逮捕する指揮官として恐れられていた人物である。
ソーブ准将は、「一体、民間情報教育局は、靖国神社の大祭をあのようにやらしておいてよいのか」と、局長のダイク大佐に詰め寄ったのである。
バンスは、「明日のダイク代将の印象如何では、靖国神社の運命が決定的なことになってしまうかもしれない。それは、日本の神社全体の処理にも響くだろう」と岸本に伝えた。
岸本は靖国神社から軍国主義的色彩を消すことに奔走することになった。
ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
・国立国会図書館調査及び立法考査局編『新編 靖国神社問題資料集』(国立国会図書館、2007年)
・新宗連調査室編『戦後宗教回想録』(PL出版社、1963年)
・小林健三、照沼好文『招魂社成立史の研究』(錦正社、1969年)
・井門富二夫編『占領と日本宗教』(未來社、1993年)
・中村直文、NHK取材班『靖国 知られざる占領下の攻防』(日本放送出版会、2007年)
この記事の著者
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。