From: 岡崎 匡史
研究室より
姉崎正治は「神社神道問題対策」を作成している間に、文部大臣の前田多門は次の手を打つ。
宗教に詳しく、英語に精通している人物をリクルートするためだ。
1945(昭和20)年10月12日、前田大臣は宗教学者の岸本英夫(きしもと ひでお・1903〜1964年)に、GHQの宗教政策の顧問として働くように依頼した。
このとき岸本は、東京帝大助教授で41歳。
姉崎正治の弟子であり、娘婿でもあった。
人身御供
岸本英夫は、東京帝国大学総長の南原繁(なんばら しげる・1889〜1974年)に相談する。
「岸本君、それは是非やりなさい」
「国家の危機に際してこのような重要な仕事を頼まれたからには、進んで引き受けるべきです」
「どこまでも自由な、大学の一助教授としておやりなさるがよろしい」
南原総長からも、GHQで働くことを奨められた。さらに、前田大臣が「どうか、国家非常の際、しばらくでよいから人身御供になって下さい」とお辞儀をして懇願され、岸本はこの仕事を引き受けたのである。
GHQ顧問
岸本はGHQ顧問として、宗教問題の助言者となる。彼は、GHQ職員の神道に対する無知に驚く。
「神道というものは大いにアジ演説をしたり、扇動したりして、激しい活動をする宗教」
「日本国民を好戦的にあおつたり、ウルトラ・ナショナリズムにかりたてたりする宗教にちがいない」
このように決めつけているGHQ職員が多かったのである。
岸本は、GHQ職員の偏見を改めさせることから仕事をはじめる。
・岸本の功績
幸いにして、GHQの職員のなかには、岸本の助言を受け入れる度量と宗教に対する高度な知識を持つ人材がいた。
徐々にGHQ職員のあいだで、偏見が薄まっていくばかりか、偏見を改めさせていく。
当時、岸本英夫の助手であった高木きよ子(1918〜2011年)は、次のように過去を振り返る。
「先生は、CIEのスタッフに対して自分の思うところを真っすぐ述べ、文部省に対しても正確なインフォメーション(情報)を与える。とりわけCIEとは英語で勝負できるうれしさというか、文部省とCIEの単なる通訳じゃないんだぞ」
「このころの先生は、それはいきいきしておられました。それに名門のハーバード大学で学んだということが、CIEの人たちにとって無言の権威になっていたと思う。まさか敗戦国の日本に、そんな学者がいるとは思わなかったんじゃないでしょうか」
岸本自身、「日本じゅうの神様は、僕のおかげで助かったのだ」と、後に自慢するようになる。岸本の功績は大きい。
ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
・新宗連調査室編『戦後宗教回想録』(PL出版社、1963年)
・東京大学宗教学講座開設七十五周年記念事業世話人編『時と人と学と』(東京大学文学部宗教学研究室、1980年)
・読売新聞戦後史班編『教育のあゆみ』(読売新聞社、1982年
・中村直文、NHK取材班『靖国 知られざる占領下の攻防』(日本放送出版会、2007年)
この記事の著者
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。