GHQの認識
日本が領土問題を抱えるようになったのは、1945年の敗戦後のことです。日本にやってきた米軍は、尖閣諸島は初めから日本の領土であると認識していました。サンフランシスコ平和条約でも、尖閣諸島は日本の領土という認識であったと思います。
ですから、中華人民共和国の毛沢東、さらには中華民国の蒋介石も、尖閣諸島については口を出せなかったし、出しませんでした。米軍は、尖閣諸島の島々を実弾射撃の練習場にしていました。沖縄が返還された時、尖閣諸島は日本の領土の一部として、当たり前のように返還された。
もちろん、米国が入ってくる前にも、尖閣諸島が日本の領土だったという歴史があります。日本への編入は1895年です。これに先立ち、日本はこの諸島が国際的に見てどの国のものでもないことを徹底的に調査しました。それを踏まえての日本領土への編入だった。
石油の発見
1970年代になり、東シナ海に石油が埋蔵されている可能性が指摘され、尖閣諸島にも注目が集まります。中華民国は1971年6月に突然、尖閣諸島の領有権を主張しはじめました。同年12月には中国が領有権を主張し始めました。1895年から1970年までの75年もの間、何も主張してこなかったにもかかわらずです。
この背景には資源問題があると見て良い。石油という海底資源です。中国や台湾は、石油が欲しくてたまらない。中東まで買い付けに行く必要のない場所が欲しい。石油が発見されなければ、台湾も、中国も、興味を示すことはなかったでしょう。あそこが仮に沖縄や台湾の陸続きのような地形をしていたら、小競り合いが起き、軍事衝突に発展する可能性もあったかもしれません。
危機意識
尖閣諸島が大変な状況に陥っている中、日本政府は論戦に夢中です。論戦で中国海軍と戦おうとしている。
厳しいことを言いますが、例えば「竹島」は今、どうなりましたか。まともに答えられる人はいないのではないでしょうか。ある授業で韓国出身の学生に尋ねると、自国の島で独島と答えます。皆の前でもしゃあしゃあと答えています。それで日本の学生に聞いてみると、そもそもその島はどこにあるのですか、と逆に質問されます。日本では領土のことを教えていないのです。北方四島のこともまともに答えられる大学生はほとんどいないでしょう。
危機意識が足りていない。接続水域に入られて、日本の防衛省は何もしていないのではないか。自衛隊も、海上保安庁も指示待ちの状態だったのではないでしょうか。米軍に「どうしたら良いでしょうか」と、尋ねていたのではないでしょうか。
西鋭夫のフーヴァーレポート
2016年6月下旬号「尖閣諸島の情勢」-2
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。