From: 岡崎 匡史
研究室より
「地道説」を唱えたことで知られるポーランド人の聖職者ニコラウス・コペルニクス(1473〜1543)は、「近代科学の生みの親」として知られている。
古代ローマの天文学者クラウディオス・プトレマイオス(83〜168)が唱えた「天動説」に対して、コペルニクスは「地動説」を打ち立てた。
コペルニクスの業績を讃えて、物の見方が180度変わることを「コペルニクス的転換」とまで言う。
太陽神
しかし、コペルニクスの「地動説」の背景には宗教的信仰があったことは、ほとんど知られていない。コペルニクスは、太陽を「神」と見なしていたのである。
コペルニクスは著書『天球の回転について』で次のように言及している。
「宇宙の中心に太陽が静止している・・・(これを)中心という場所以外の何処に置くことが出来よう。これを宇宙の眼と呼び、宇宙の心と呼び、宇宙の支配者と呼ぶ人びとがいるが、それは当然である。トリスメギストス(ヘルメス神秘思想の伝説的な錬金術師)は、見える神と呼んだ」
コペルニクスは宇宙の中心は「太陽」であると信じていた。
それでは、「太陽」と「キリスト教」は、いかなる関係にあったのだろうか?
新プラトン主義
コペルニクスが活躍していた15世紀のヨーロッパを魅了したのは、「新プラトン主義」。
「新プラトン主義」は、「一なるもの」(ト・ヘン)から世界のあらゆるものは「流出」して生成されているという思想である。聖書の「創世記」(世界の現出)を思い起こさせる。
宇宙の秩序は「一者」(ト・ヘン)から生み出され、神は宇宙の万物にまで作用すると考えられた。太陽の光が「流出」をもたらすと信じられ、「太陽は単なる一天体ではなく本当は神の<象徴>なのだ」と見なされた。
コペルニクスからしてみれば、太陽は「一者」であり、宇宙の中心たる「神」の象徴である。否応でも、宇宙の中心は、太陽でなければならない。
この隠された歴史を知れば、コペルニクスの「地動説」の着想は科学的な裏付けに則っていたのではなく、「太陽神信仰」が大きく影響を及ぼしていたことがわかる。
ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
・コペルニクス『天体の回転について』(岩波書店、1953年)
・森山茂『新・宇宙と地球の科学』(開成出版、2007年)
この記事の著者
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。