屈辱
マッカーサーの自尊心は、トルーマンの解任命令よりも、自分の解任を知った経緯によってひどく傷つけられた。
彼は、1951年5月3日、上院軍事・外交両委員会の合同公聴会で、そのことについて説明した。
スタイルズ・ブリッジズ上院議員 「あなたは解任の最初の言葉をどのようにして受け取りましたか」
マッカーサー 「私は妻から教えられました。私の副官の一人が放送を聞いて、すぐ妻に知らせました。彼女が私に告げてくれたのです」
ブリッジズ 「あなたは、正式の通知を受ける前に、ラジオで知ったのですか」
マッカーサー 「はい、そうです」
FLASH(緊急)電報
ジーン夫人から知らされた後、マッカーサーは「FLASH」(緊急)と赤色の大文字が印刷されてあった小さな茶色の封筒を副官シド・ハフ大佐から手渡された。
その時、マッカーサーは何も言わず、夫人と13歳の息子アーサーを交え、2人の訪問客、ウォレン・マグナソン上院議員とノースウェスト航空社長ウィリアム・スターンとの昼食会を続けた。
ジーン・マッカーサー(左)とアーサー・マッカーサー四世(中央)
トルーマンの狙い
日本国民は、アメリカ政府の文民コントロールの劇的な展開に愕然とした。誰が、あの雄々しい、「太平洋の皇帝」を解任することができるのか。
トルーマン大統領は、「解任」を事前に通達しないことで、驕っていたマッカーサーを懲らしめていたのだろうか。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。