朝の至福のとき。クロワッサンにコーヒー。
今日も一日頑張ろうと元気が出る。
でも、日本人はいつからパンを食べるようになったのであろうか?
食文化
日本人なら和食だよ、と主張してもお味噌汁の「大豆」は輸入だったりする。事実、味噌の原料となる大豆は、輸入が90パーセントを占めているのが現状だ。日本の食文化は崩壊へ向かうのか。
ハンバーガーに代表されるファストフードが普及するにつれて、日本人の味覚も徐々に変化してきた。化学調味料の配合で、いつも同じ味を提供する商品に舌が慣れ、ファストフードを美味しいと感じてしまうようになった。
学校給食
日本人が本格的にパンを食べるようになったのは、戦後のことである。
発端の起こりは「学校給食」にある。(学校給食は明治からはじまっており、山形県鶴岡の小学校が発祥といわれている)
学校給食が開始された1947(昭和22)年に小学校1年生であった少年は、回想する。
給食のことは鮮明に憶えている。一日で一番真剣になる時だった。アメリカから直輸入のスキム・ミルクという脱脂粉乳が、アルミニウムのお椀一杯。強い臭味があり、色は真っ白でなく、うすい茶色だった。先生が、『体に良いから、飲め!』(当時の言葉で『滋養がある!』)と言われても、飲みたくないと泣いている子も大勢いた。飲めない級友のミルクは、全部私が飲んでやった。『コッペ』という、アメリカからの直輸入の小麦粉(メリケン粉)で作られたスカスカのパンの半分と、命をかけて守る価値があった匙一盛りの甘いイチゴジャム。そして、炒ったアーモンド(みんなの大好物)二個、または、甘酸っぱい乾しリンゴの細長い切れ三本だった。給食は全てアメリカからの食べ物だ。西鋭夫『國破れてマッカーサー』
脱脂粉乳とは、牛乳から脱脂分と水分を取り除いて粉末状にしたもので「スキム・ミルク」とも呼ばれる。
牛乳から取り除いた脱脂分はバターとして利用されていたが、脱脂粉乳は主に家畜のエサとして使われていた。
(「小麦戦略ー2」に続く)
ー岡崎 匡史
この記事の著者
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。
岡崎匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。