ソ連代表の撤退
1950年5月27日、対日理事会のソ連代表クズマ・デレビヤンコ中将と高官48名が、突然モスクワへ帰国した。
デレビヤンコは、対日理事会で、マッカーサーの代理、アチソン政治顧問、シーボルド政治顧問と絶えず口喧嘩をしていた、ソ連のスパイ工作専門の軍人であった。
彼は東京湾上ミズーリ号での日本降伏調印にソ連代表として参列した。
彼は夫人を同伴しての帰国であった。この帰国は、北朝鮮が攻撃を仕掛ける一カ月前だ。ソ連も、戦争の準備をしていたのだろう。
対日理事会の様子
毛沢東の目論見
恰も共産主義国の交代劇を演ずるがごとく、中華人民共和国(北京)の周恩来外相は、6月19日、シーボルド対日理事会議長に電報を送りつけ、蒋介石(台北)の代表を対日理事会から追い出し、「中国人民を代表する唯一の合法政府」の代表を出席させよと要求した。
シーボルドは、6月20日、「私は北京政府のメッセージを受け取っていないし、それについて何も知らない」と完全無視の姿勢をとり、このような要求に関して、自分は全く権限がないのではなかろうかとトボケた。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。