単独講和の模索
1949年9月、ソ連は最初の原子爆弾を成功させた。その同じ月、アチソン長官は、ソ連を除く他の連合国と対日平和条約に関する話し合いを再開した。
陸軍次官トレーシー・S・ボルヒーズは、1949年12月5日から9日まで、平和条約で想定されうる軍事的側面を話し合うため、東京のマッカーサーを訪れた。
ボルヒーズは、コロンビア大学卒で、1942年大佐で出征し、その後参謀本部に勤務した。占領地食糧問題と対日問題が担当だった。
奇行
12月15日、彼はマッカーサーとの会談について報告するため、アチソン国務長官とジェームズ・E・ウェッブ同次官に会った。同省からバターワース次官とジェサップも出席した。
だが、ボルヒーズは、会談の中身については詳しく触れず、彼の東京行きの理由が新聞に漏れたのは、国務省からではなかったのかと強い非難を投げ付けた。
9条新解釈
1950年1月1日、マッカーサーはアメリカ政府の承認を受け、日本国憲法第9条は自衛の権利を奪うことはできず、またこれを否定しないと言明した。
日本は、アメリカの最前線で要塞になるべきだ。それによって日本が自国を護ることにもなる、と言う。
アメリカ政府もマッカーサーも、朝鮮半島で戦火が起きると予期していたのだろう。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。