自由への渇望
日本国民は、アメリカからの食糧と「民主主義」に感謝はしていたが、その感謝の念よりも強い感情が国民の間に広まり出した。
自由になりたいという願望である。平和条約を結び、敵軍占領を終結したいという自然な感情である。
平和条約を最初に提案したのは、ジェームス・F・バーンズ国務長官で、トルーマン大統領に極秘としてなされた。1946年2月27日のことである。
マッカーサーの占領が始まって、僅か6カ月しか経っていない。
この提案は立ち消えになった。時期的に余りにも早すぎた。
軍人の白昼夢
平和条約が話題になりだしたのは、1947年3月19日のマッカーサーの記者会見からである。
マッカーサーが記者会見をすることは非常に稀であったが、彼は、日本は間もなく平和条約を準備し、国家主権を回復し、永久平和を国の理想とし、「太平洋のスイス」として繁栄してゆくであろう、と語った。
記者「誰が日本を護るのか」
マッカーサー「一つの方法は、小規模の軍備を再編成することを認めることだが、日本国民は侵略から自分たちを守るため、世界中で最も進歩した精神に頼るのである」
キリスト教の愛と憲法第9条の精神で、日本国民は祖国を護れと言う。
アメリカ政府は、日本がアメリカの国益にとって戦略的にも経済的にもアジアで最も重要な国と考えていたので、国防省は純粋平和主義が日本で奉られていることに複雑な気持ちであった。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。