偉大なる大帝・睦仁

by 西 鋭夫 February 27th, 2017

アカ狩り計画書


59人の追放されるべき大学教授のリストが、文部次官から彼のもとに提出された。10月19日、天野はニュージェントに全国に委員会を設置し、赤い教授を狩り出す文部省の計画を提出した。

10月24日、ニュージェントは、アーサー・ルーミスを通じて天野に回答を出した。

「共産主義教授を占領軍の方針に反対するという理由で追放するのは賢明ではない。というのは、占領は平和条約をもって終了するので、その時あなた方が彼等を追放しておく根拠を失うからである」

「初等・中等学校の生徒は、共産主義を教え込まれることから守られなければならない。これらの学校の共産主義者を追放するのに賛成だ」

「共産主義者の大学教授に関しては、単に共産主義であるからといって追放させるべきではない、とする天野文相に賛成する。しかし、ストライキやボイコットで大学の自治を乱すようなら、追放されるべきだ」



文相の苦悩


天野文相は、共産主義者追放よりも、「日本精神」の復活を提唱したことでよく知られている。この精神を占領下の日本で探すのは難しかったし、マッカーサーの逆鱗に触れる可能性もあり、非常に危険であった。

それに挑戦した天野の勇気は注目に値する。

文部省の動きに危機感を持った日教組は、1951年1月25日、「教え児を再び戦場に送るな」のスローガンを採用し、闘争心を表明した。



新しい祝日


同年2月7日、天野は、明治天皇の誕生日、11月3日(明治節)を新しい国の祝日「文化の日」とし、その日、国歌を歌い「日本国旗」を掲揚することを提案した。

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明治天皇


もし天野文相が、11月3日を「明治の日」と提案していたら、マッカーサーを激怒させており、文化の日もなく、天野自身も即座に辞任させられていたであろう。

「文化の日」は、天野が苦慮した上での提案だった。

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。