第2イールズ案
第2イールズ案は、1948(昭和23)年3月の国立大学管理案である。
これは、アメリカの大学にある評議員会制度を日本に移植しようとする試みであった。
「大学管理法案の要綱」と題する彼の新案は、またも、大学と文部省の対立に火を付けた。今度は、CIEは簡単に引き下がらない。長い夏休みが過ぎても、大学側の不満の声は納まらない。
大学側は、文部省に評議員制度案を採用しないようにと説得し続けた。この案には、大学の自治、教授会の自治、さらに学問の自由さえも侵す可能性があると警告した。
南原たちの反論
東京大学、教育刷新委員会、全学連、日教組、日本学士院は、それぞれ代案を文部省に提出したが、そのいずれも文部省には気に入らない。
教育刷新委員会委員長の南原東大総長は、イールズの新提案を徹底的に非難した。
文部省とCIEは南原を厄介者だと思い始めた。
オア教育部長は、1948年7月初旬、南原を自宅での夕食に招いた。南原を説得するためであった。
「非常に楽しい夜でした」と、南原はオアに謝意を表した手紙(7月15日付)を書いた。その手紙に同封してあったものは、南原説得に努力したオア部長を驚かせ、失望させた。
南原繁
密書
七つの国立大学(全て旧帝国大学)学長たちの「意見書」が入っていた。南原自身、その七人の一人である。
「評議員案は将来にとって数知れぬ悪弊と危険の芽を作り出す」との意見書である。
フィンがシーボルド政治顧問に報告しているように、南原を委員長とする教育刷新委員会は、「その影響力を失ってしまいました」。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。