遺産の継承と言葉
教育使節団は、一方では、「教育は、真空の中で育むことはできないし、また、一国民の文化的過去と完全に絶縁してしまうことも、考えられない」と言い、そして、日本国民は「人道的な理念や理想として残してゆく価値のあるものを発見するために、日本の文化伝統を分析しなければならない」と勧告する。
日本文字の美を取り去って、歴史的遺産を継承することができるであろうか。
また、使節団自体への警告としてか、「国語は国民生活にとって極めて密接な有機体であるだけに、外部からこの問題に手を出すことは危険極まりない」とも書いた。
しかし、使節団は、日本語を犠牲にしても、情報が大衆に広く流されれば、日本国民はより一層民主主義化すると確信していた。
「悪い言語」の駆逐
日本語の漢字が日本国民を凶暴にしたのか。漢字は国民を非民主的にした「悪い言語」だったのか。
帝国政府は、「危険思想」を徹底的に排除することによって、国民を国家の方針に盲目的に従わせるようにした。
だが、教育使節団は、こうした思想統制が与えた悲惨な影響について、一切考慮を払わなかった。使節団は、既にマッカーサーが「民主的検閲」を実行していることをよく知っていたのであろう。
日本国民の「難しい言葉」と「好ましからざるイデオロギー」とを同一視した時、教育使節団は驚くべき天真爛漫ぶりを、いや、幼稚さを露呈した。
ローマ字と民主平和論
ローマ字と民主主義の間の因果関係を示す歴史的証拠があるのか?あったのか?
教育使節団は、音標文字が使用され、ユダヤ民族大虐殺を科学的に行なったナチ・ドイツと、ファシズム大賛成のイタリアの実例を、一所懸命に忘れようとしたのだろう。
イギリス帝国による、アジアとアフリカ植民地残酷物語にも目を閉じていた。アジアとアフリカを食いものにしたスペイン、ポルトガル、オランダ、フランス、ベルギー、デンマーク、そしてアメリカの国語はみな音標文字なのだ。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。