擦れ違いの元凶
『讀賣報知』も社説(9月16日)で前田文相の「教育方針」を痛烈に批判した。
「問題の大きさを思うにつけても、失望は益々深まるのである。......国民に非科学的態度を植えつけて来た官僚諸君の手で、(根本的な刷新)が十分に成し遂げられるであろうか」。
日本政府が死守したい「モノ」と、アメリカが日本に放棄させたい「モノ」は同じであった。
この擦れ違いは日本政府のポツダム宣言の解釈から発生したであろう。
ポツダム宣言の中で、アメリカは「日本国政府ハ日本国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ」と言っている。
日本政府は、民主主義の権化と名乗るアメリカさえ、日本に「民主主義的傾向」が存在したことを認めたと読んだのだ。アメリカ政府が、民主主義と天皇大権は矛盾の最たるものだと考えていることを、日本政府は理解しきれなかった。
調査分析課の焦り
国務省調査分析課は、文部省がいまだになぜ「修身」と「国史」を改定する計画を立ててこないのかと焦っていた。
この二科目こそが、日本の狂信的な国家主義を作ったと見ていたからだ。
さらに、「日本教育の解放」のためには、「外部の圧力」か「学生と教師の合同による要求」を使うよう勧告した。
さもなければ、「戦後の若者たちが受ける教育は、戦前のものと違わないものになる。一方、自然科学教育だけは目覚ましい発展をし、日本はより危険なものとなろう」。
マッカーサーの逆鱗
マッカーサーとGHQが抱く深い失望感を知らず、文部省は日本の教師や学生に訓示を出し続けた。
10月3日、文部省は軍事訓練を廃止し、校内にいた軍事教官全員を馘にし、軍事教練用の兵器と施設を処分し、教師の再教育計画を発表した。また、文相が文部省関係の公共団体の長を任命することも廃止した。
翌日、マッカーサーは、日本政府の上に最初の「政治的爆弾」を落とした。東久内閣を潰した「権利の大章典」の指令である。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。