日本皇室

by 西 鋭夫 April 10th, 2016

田中耕太郎


GHQ・CIEが教育勅語をいかに埋葬するかを検討していた最中に、田中耕太郎文相は、その再生の努力をしていた。

田中は、1915(大正4)年に東京帝大法科を卒業し、1923(大正12)年同大学教授になり、イギリス、イタリアに留学した。留学中、ローマ・カトリックに改宗、熱心なキリスト教徒となる。

1945年10月、文部省学校局長、1946年5月、第一次吉田内閣の文部大臣、同6月より貴族院勅選議員。1947年、参議院議員、同院文教委員長として、教師検定にも深く関わる。


174.JPG田中耕太郎


リベラルと天皇


アメリカ国務省は、田中を「リベラル」と思っていた。アメリカが「リベラル」と考えていた日本人は、天皇を崇拝してはいけなかった。

1946年6月14日、田中文相は地方長官会議で演説した。

「近来、国民道徳の頽廃は極度に達し......教育勅語の内容まで疑惑を以て見られ、また外国人が自国の元首に払っている尊敬すらも日本国民として天皇陛下に払わない者も少なくないのであります」


日本君主制の合理的基礎


終戦の5カ月前、1945年3月に田中が書き、降伏後(同9月)に彼自身が書き改めた「日本君主制の合理的基礎」(『教育と政治』 好学社、1946年)の中で、田中は、

「我が日本帝国が、天皇の統治したまう所であり、それが肇国のはじめからの歴史的事実であり、またそれが、将来に対する不動の根本規範であることは、日本国民の血肉となっている信念である......然しながら我が国体に関してかかる信念を持つことを要求期待することが出来ぬ外国人に対しては、必ずしもその理論的基礎付けが必要でないとは云えない」

と述べている。

「外国人」とは、マッカーサーである。

「国体」の真の意味をマッカーサーに説得できなければ、マッカーサーは皇室と国体を同時に廃止するかもしれない、と田中は懸念した。


この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。