政治思想への渇望

by 西 鋭夫 February 24th, 2016

解放


日本降伏直前、ヘンリー・スティムソン陸軍長官は、トルーマン大統領に、

「日本のリベラルが沈黙したのは拳銃で脅迫されたからであります。私の知る限り、日本人のリベラルな態度はナチ・ドイツのように自ら進んで堕落したものではありませんでした」

と進言している。

それを受けるかのように、マッカーサーは、日本の教職者たちや学生に、政治活動や思想討論を活発に行なうことが民主主義だと宣言し、天皇・皇室・神道が討論の的になるのが望ましいと言った。

政治思想への飢えを必死に耐えていた知識層には、アメリカが「デモクラシー」の権化と見えた。彼らの無我夢中の熱狂ぶりは、苛烈きわまる思想統制の嵐にも拘らず、絶えることなく息づいていた自由への憧れが、夢が、突然「現実」になった時の驚きと喜びであったのだ。


一億総懺悔


勝者アメリカは日本の学校教育に素早く食い込んでいった。

日本国民の日常生活が地獄であったので、アメリカの目も眩むような富と武力に対して国民の間に劣等感がすでに出来上がっていた。

マッカーサーは、この優劣の関係をさらに強化し、利用した。日本国民は「一億総懴悔」をさせられ、マッカーサーの命令通りに従った。

また、日本政府が永く抑圧していた国民の学習欲が、新たな題材を求め動き始めた。日本の学校に注入されたアメリカの「自由・平等」の理想が、知的飢餓の苦痛を和らげ、「アメリカ」自体が最も重要な課題になっていった。


明治の夢


日本国民がアメリカに示した態度は、欧米の知識(文明開化)が怒涛のごとく流れ込んだ時の明治初期に似ている。

明治日本は自信がつくにつれ、日本人の伝統と理想、夢と野心を凝縮した明治憲法(1889年)と教育勅語(1890年)を作り、国の独立と国の精神文化を護ろうとした。


163.jpg大日本帝国憲法の発布式の様子


占領が終わった1952年から、「アメリカの行き過ぎ」を是正しようとする動きが出てくるのを予測するのは難しいことではなかった。

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

人気の投稿記事

ミャンマーと北朝鮮

アジア最後のフロンティア 北朝鮮の今後の動向を予測する上で、東南アジアにあるミャンマーは一つのポイントです。ミャンマーはアジア最…

by 西 鋭夫 November 8th, 2021

中朝関係の本当の姿

水面下でのつながり 中国が北朝鮮の核実験に対して、断固反対すると声明を出しました。しかし、中国の習近平政権と、北朝鮮の金正恩政権…

ミサイル / 中国 / 北朝鮮 / 核実験 / 米国

by 西 鋭夫 November 1st, 2021

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。