警察予備隊の誕生
マッカーサーが自衛放棄第9条と自分との関わりを否定しようとしたのは、己の名声にとって都合の悪い現実が次々と出てきたからだった。
冷戦が激化し、中国が共産主義の下に大革命を成功させ、ソ連が原爆実験に成功し、朝鮮半島がいまにも戦争になりそうになり、あたかもアジア全土が共産主義の下に屈服させられるのではないかという情勢が目の前に展開したので、吉田首相に命じて警察予備隊を創設し、共産主義に対して国防・自衛をするようにと命令した。
警察予備隊第一連隊
警察予備隊がのちに自衛隊になり、第9条の精神を侵した。
マッカーサーの弁明
即ち、マッカーサーは、自分の「読み」の甘さをさらけ出した。それ故に、マッカーサーは逃げ口上を並べ立て、責任を回避しようとする。
「世界情勢が変わり、全人類が自由の防衛のため武器をもって立ち上がり、日本も危機に晒される事態となった時には、国の資源の許す限り、日本も最大の防衛力を発揮すべきである。憲法第9条は最高の理想から出たものだが、挑発しないのに攻撃された場合でも自衛権を持たないという解釈は、どうこじつけても出てこない」
「私はこのことを憲法採択の時に声明し、後に必要になったときに提案した」と『回顧録』の中で説明しているが、真実は、憲法採択の時ではない。
それから3年以上たった、1950(昭和25)年1月1日、日本国民への年頭メッセージの中で初めて明言した。
当時、アメリカとソ連は、アジア、ヨーロッパで覇権を争い、朝鮮半島は今にも火を噴きそうだった。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。