陛下の「お言葉」
同草案と共に天皇の「お言葉」が発表された。
「朕曩ニ......日本国政治ノ最終ノ形態ハ日本国民ノ自由ニ表明シタル意思ニ依リ決定セラルベキモノナルニ顧ミ日本国民ガ正義ノ自覚ニ依リテ平和ノ生活ヲ享有シ文化ノ向上ヲ希求シ進ンデ戦争ヲ抛棄シテ誼ヲ万邦ニ修ムルノ決意ナルヲ念ヒ乃チ国民ノ総意ヲ基調トシ人格ノ基本的権利ヲ尊重スルノ主義ニ則リ憲法ニ根本的ノ改正ヲ加ヘ以テ国家再建ノ礎ヲ定メムコトヲ庶幾フ......」
マッカーサーの声明
天皇と同時にマッカーサーも声明を発表した。
「私は、天皇ならびに日本政府によって作られた新しい憲法が、私の全面的承認を得て、日本国民に提示されたことに深い満足をもつ」
「貴族院」最後の仕事
1946年6月26日、「政府草案」は日本国会の審議のため提出された。
マッカーサーの声明が草案に付けられていた。「いま議会に提出された政府憲法草案は、日本の文書であり、日本国民のためのものである」。
衆議院は、8月24日まで討議を続け、421対8で採択した。反対票8のうち6票は共産党であり、同党は皇室廃止と日本の自衛権の承認を要求していた。
9月と10月、貴族院が最後の仕事として審議し採択した。
この後、貴族院は廃止され、参議院の誕生となる。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。