ドッジ特使
1949(昭和24)年1月25日、バターワースはアチソンに、「ロイヤル長官訪日の目的は、経済再建計画を確実に開始させることであります。ご承知のように、長官はマッカーサーの財政顧問として日本に残留することになっているデトロイトの銀行家、ジョセフ・ドッジ氏を連れて訪日されます」と説明した。
ドッジはデトロイトの出身。高校卒で大学に進学していない。デトロイトの銀行で使い走りから始め、実力だけでトップに昇る。全米銀行家協会会長も歴任した。
1945年の夏から1カ年間、占領下のドイツで金融安定策で実績を挙げ、日本へ派遣される。
ロイヤルとドッジの訪日が緊急になったのは、バターワースによれば、「マッカーサー元帥が最近、東京で経済委員会を設立したことを我々が非公式に知ったからです。議長役にマッカーサーの側近ホイットニー将軍、委員は、マーカット将軍、フォックス将軍がなり、この委員会はドッジが作成するであろう勧告案をマッカーサー元帥が見る前に有耶無耶にする目的で設立されたからであります」。
マーカット少将の妨害
マッカーサーの側近マーカットは経済科学局長であり、数々の「最悪の侮辱的言葉を吐き、陸軍省、国務省、その役人たちを、物凄く軽蔑している男」として、国務省では既によく知られていた。
日本の絹産業を促進するため、国務省から日本へ派遣されたピーター・F・マガナは、日本滞在中、厖大な時間とエネルギーをマーカット少将の妨害と闘うために費やした。
トルーマン、ドッジ特使を支持
1949年1月26日、アチソンとロイヤルは、ロイヤル長官のオフィスで昼食をとりながら会談した。陸軍次官ウィリアム・H・ドレイパー将軍が、両長官に日本通貨の安定、日本の対外貿易促進の必要性を説明した。
同じ日、アチソンはトルーマン大統領に、「フォレスタル次官(ジェームズ・V、陸軍次官)と私は、ドッジ氏とマッカーサー元帥の関係を明白にすることが非常に大切だと考えます。ドッジ氏がマッカーサーと直接に話し合えれば、彼の仕事はスムーズに進むでしょう。しかし、最近設立された経済委員会によってドッジ氏の行動が邪魔される羽目に陥れば、彼の仕事は極めて困難になるものと考えます」と伝えた。
トルーマンはドッジに、「大臣」という地位(ドッジ特使)を与えたので、彼はマッカーサー元帥と直接対談できた。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。