マッカーサーから吉田へ
12月19日、マッカーサーは吉田首相に書簡を送る。
「アメリカ国民が日本国民の生命を維持するため、懸命な努力をしている時、日本国民の最大限の勤勉が要求されて当然であり、不必要な政争、目的を弁えない 労働争議、また破壊的思想の圧力は徹底的に回避されなければならない」
「誰もが分かる言葉を使っていえば、それは政治的自由を楽しめるぐらいの経済的自給自足を速やかに確立することである」
いかにしたら日本が自給体制を確立しうるかについては一言もなく、「一国民の生計が他国の慈悲に依存しているかぎり、いかなる政治的自由も存在しえない」「経済的発展が邪悪で破壊的思想に対する強固な防壁」であると言う。
この経済的安定を達成するためには、現在の「自由社会に与えられている特権と自由を暫く失うことになるであろう」「生産を妨害するストライキは絶対に許されない。政党紛争をすることも絶対に許されない。反対意見も絶対に許されない。この目的達成を遅らせたり、邪魔したりする動きは、公共の福祉を脅かすもの故、許されない」
「日本国民よ、死に物狂いで働け。さもなければ、日本は破滅するだろう」。
国務省と陸軍省の疑心暗鬼
しかし、国務省と陸軍省は、マッカーサーがこの経済再建計画を実行しないのではないかと心配していた。
W・W・バターワース極東担当次官は、アチソン長官に「マッカーサー元帥は、我々の日本再建計画に最初から抵抗していた」と訴えた。
ロイヤル陸軍長官は、できるだけ早く東京でマッカーサーと会うことにした。
出発前、彼はアチソン国務長官と協議をする。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。