聖書とタバコ
自分自身がキリスト教と民主主義の権化となり、日本の救世主になりたいというマッカーサーの願望は、日本人に知られていた。
ある日本人が、「米国大統領閣下」に宛てた手紙がこれを諂(へつら)い気味に表わしている。「もし閣下が引き続き日本に食糧とキリスト教の教えを送って助けて下さるならば、破滅した日本はやがて生き返り、世界の平和に貢献できるでしょう」。
また、別の日本人は「我々はマッカーサーを、イエス・キリスト2世だと思っています」と述べた。
しかし、多くの日本人が聖書を受け取ったのは、タバコの紙がヤミ市では高いため、その代わりに聖書の薄い紙を使うからだった。私も近所の大人たちが辞書や聖書の薄い紙で刻みタバコを巻いているのを毎日見ていた。
昭和天皇キリスト教へ改宗か
民間情報教育局(Civil Information and Education Section, CIE)が、1950(昭和25)年4月に出版した『キリスト教布教団体と宣教師についてのハンドブック』によれば、1948(昭和23)年12月31日当時、日本人キリスト教信者数は34万2607人であった。
この数字は、日本国人口8000万人の0・4パーセントで、マッカーサーが日本に来る前と殆ど同じだった。
この芳(かんば)しくない改宗率は、マッカーサーにも報告されていたのであろう。
彼はアメリカの宣教師に、「私が持っている権力を使えば、天皇と7000万人の日本人を一夜でキリスト教徒にできる」とぼやいている。
また、世界的に有名な宣教師のビリー・グラハムに、「天皇がキリスト教を国の宗教にする意思があることを私に個人的に言ってきたが、どんな宗教であれ、それを国民に強制することは間違っているからと、この申し出を断った」と話した。
グラハムは、1918年生。アメリカで最も有名な宣教師だ。
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。