ギロチンの誕生

by 西 鋭夫 March 5th, 2026

処刑装置

日本では首を落とすために日本刀、すなわち刀が用いられました。一方、ヨーロッパでは斧で首を切り落としていました。しかし、フランス革命が起こると処刑のための装置「ギロチン」が登場します。ルイ16世やマリー・アントワネットが犠牲となったことは、よく知られています。

皆さん、ギロチンをご覧になったことがありますか。三角形の刃が上から落ちる、あの装置です。ただ真っ直ぐ落とすのではなく、斜めに滑るように落とすことで、より鋭く切れる。効率性を徹底的に追求した処刑装置だったのです。

革命を起こした男たちの間では、やがて権力争いが始まります。誰がどれだけ多くの貴族や王族を処刑したかが、力の誇示となっていきました。貴族たちは一か所に押し込められ、順番を待つように処刑されていきます。パリだけで少なく見積もって三千人、フランス全体では三万から四万人とも推計されています。処刑された多くは貴族や王族でしたから、彼らの土地や館は革命側のものとなりました。

 

マリー・アントワネット

マリー・アントワネットが非難されたのは、最初から処刑対象だったからではありません。彼女の場合は兄がいるオーストリア、すなわちハプスブルク家の大帝国へ逃れようとしたことが決定的でした。馬車に荷物を積み過ぎて逃走が遅れ、国境近くで捕らえられたのです。「我々を置いて逃げるのか」という失望が、民衆の怒りへと変わりました。そして「早くやれ」という空気の中でギロチンにかけられました。

ギロチンは普通、下を向いた状態で処刑されます。しかしマリー・アントワネットだけは上を向かされて処刑されたとも伝えられます。史実は史実ですが、相当な恐怖だったと思います。

絵に描かれるギロチンには血がほとんど描かれていません。実際には頸動脈から大量の血が噴き出し、辺りは血の海となります。三人も続けば、足元は真っ赤です。その様子を群衆は見ていたのです。

 

死刑執行人

ギロチンの導入により死刑執行人は減っていきました。理由は単純です。効率が極めて高かったからです。従来の斧による処刑は、必ずしも一撃では終わりません。頭蓋骨や肩に当たり、何度も振り下ろすこともあった。酔った執行人が二度三度、時には五、六度と斧を振るうこともあったのです。

私が敬愛する三島由紀夫の割腹自殺の際も、介錯は一刀では終わりませんでした。人間はそう簡単に首を切り落とせるものではないのです。ところがギロチンは、縄を外せば一瞬で終わります。機械化された処刑です。

 

死刑制度

フランスでは1981年に死刑制度が廃止されました。それまで長くギロチンが使われていました。世界的には死刑廃止の流れが強まっていますが、日本では依然として死刑が支持されております。

私は賛成・反対を論じるつもりはありません。ただ、日本には「敵討ち」という文化があり、忠臣蔵の話もあります。家族を殺されたとき、加害者が十年ほどで出てくる社会を受け入れられるか。感情の問題を抜きに制度だけを語ることはできません。

もう一つは終身刑です。日本の無期刑は、実際には仮釈放の可能性があります。アメリカも同様です。出所の際、被害者遺族に十分伝えられないことがあり、それが社会問題になります。キリスト教的背景から更生の可能性を重んじる声もあります。しかし、殺された側には再生の機会はない。その現実も重いのです。

死刑反対と言うのであれば、自分の親や子、孫が残酷に殺された場合を想像してみてください。そのとき同じ言葉を言えるかどうか。そこまで考えて初めて、この問題について語れるのではないでしょうか。

 

西鋭夫のフーヴァーレポート
拷問の歴史(2021年7月上旬号)-8

 

 

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。