最も過酷な刑
有名な宣教師でクリストヴァン・フェレイラがおります。『沈黙』という、遠藤周作による素晴らしい文学がありますが、そのときの主人公のモデルになった人物です。遠藤周作自身もカトリックでした。ゆえに彼は、自分たちの宣教師がこのような拷問を受け、耐えきれずに日本側に寝返っていくという、その現実を徹底的に描いたのだと思います。
そのキリスト教徒ですが、日本では信者かどうかを判断するために、「踏み絵」が用いられてきました。踏み絵とは、キリストの十字架像やマリア像を木版などに刻み、それを足で踏ませる行為です。
私だったら、形式的に踏めばいいではないか、と思ってしまいます。それでも、当時の信者たちは踏み絵に強く抵抗しました。

土足で踏むことの意味
「踏み絵」ほど日本において賢い拷問はありません。日本人は潔癖です。足で神聖なものを踏むという行為、これはなかなかできないのです。皆さん、お父さんやお母さんの写真が床に落ちていたら、その上をそのまま歩きますか。拾うでしょう。つまり、私たちの長い文明や文化の中で、「足でものを踏む」という行為を嫌がる感覚が、深く染みついているのです。
私が子どものころ、畳の上に落ちた新聞の上を少し歩いただけで、父親から「新聞の上を歩くな」と厳しく叱られました。これくらいで、と思うかもしれませんが、違うのです。これが日本人です。
だから「踏み絵」ほど賢い拷問はありません。「こいつはキリスト教徒かどうか」を見分けるには、非常に巧妙で、俗に言う優秀な手段だったのです。踏んで、あとで神様に謝ればいいではないか、と理屈では思っても、実際には踏めない。
皆さん、神社やお寺に行って、神聖な場所を土足で踏み込みますか。土足で上がりますか。アメリカ人は事情を知らなければ、ドカドカと入っていったでしょう。しかし日本人にはそれができません。非常に良い潔癖感だと思います。
日本人かどうかのテスト
「踏み絵」を思いついた人間は、ある意味ですごいと思います。非常に優秀です。実際のところ、踏み絵は江戸時代が終わっても、明治の初めごろまで使われているのです。
どんな使われ方をしたかというと、日本上陸の際のテストなどです。太平洋で漂流して、アメリカの捕鯨船に救われ、アメリカへ行き、そして日本に戻って長崎にやってきた人たちがおりました。そのとき「私はアメリカ人だ」と言えば踏み絵は免除されましたが、日本人の漁師たちは踏み絵を踏まされた。お前は本当に日本人か、と疑ったのです。その時に用いられたのが踏み絵でした。
ほかの国だったら、神様に謝って踏んでいますよ。しかし日本人には出来ない。だからこそ「踏み絵」は日本特有の拷問なのです。
西鋭夫のフーヴァーレポート
拷問の歴史(2021年7月上旬号)-2
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

