吉田茂
吉田茂は、1964年に大勲位菊花大綬章(だいくんいきっかしょうだいじゅしょう)を受章し、さらに没後の1967年には、日本の最高位勲章である大勲位菊花章頸飾(だいくんいきっかしょうけいしょく)を追贈されました。
私は、この人物に対して否定的な立場をとっていると思われがちですが、否定しているわけではありません。政治家として、非常に面白い男が現れたな、と思っているだけです。
彼はイタリアの日本大使でしたが、「華族になりたい」と思っていたようです。イタリアから帰ってきて、まだ39歳か40歳ぐらいの時のことです。彼は願書を出しました。そこにはいろいろと書いてあり、自分がいかに華族になれるかを説明し、それを政府に提出した。おそらく天皇家にも回っていたと思います。
それで、「早くなりたい、早くなりたい」と、ハラハラ、ドキドキしながら、数か月待たされます。ところが返事が来て、「おまえはダメだ」と言われた。
マッカーサーの腰巾着
その男が、今度は占領の時にマッカーサーにべったりとくっついて、揉み手をしながら、すり足で寄っていく。そしてマッカーサーがお帰りになる時には、ラブレターを書き、泣きながら手渡しました。

その後はどうしたか。彼は途端に強くなり、俗にいう「吉田時代」を作るわけです。占領時代に手中におさめた力でもって、思うがままにその権力を行使しました。出世するかしないかは吉田次第。その様子から「吉田学校」と呼ばれることもありました。吉田の言うとおりに動き、卒業すると政府の要職に就ける、というやつです。
そして総理大臣を辞める時に、陛下から高いランクの勲章をいただきました。その後、大磯の邸宅に住み、亡くなった後には日本で最高位の勲章をもらいました。
勲章泥棒
ところが、ある日、吉田邸に泥棒が入ります。泥棒は、お風呂に付いている窓の戸を、内側からスクリュードライバーでこじ開け、そこから入ってきていました。そして、吉田茂が陛下からいただいた勲章、そのほか、金銀いろいろなものを盗んでいったのです。
吉田茂の肖像写真は裏返しになっていました。そして、物色したような跡が残っていた。当時の吉田邸には、ワンちゃんが四匹おりました。しかし、ワンとも吠えなかった。どんな犬でも、人が少し歩いただけで、ギャンギャンと吠えるものです。四匹もいれば、一匹ぐらいは必ず吠えるはずです。
ところが、どの犬も吠えなかった。大きな謎です。吉田邸で働いていた男か女が盗んだのではないかとも言われております。しかし、完全にわからないのです。迷宮入りです。盗んだ人は、吉田個人に、よほどの恨みがあったのか。金のためなのか。それもわかりません。ただ、その泥棒は少なくとも、吉田の写真を裏返しにするくらい、吉田には見られたくなかった、ということでしょう。
西鋭夫のフーヴァーレポート
勲章と権力(2022年4月上旬号)-6
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

