東京大空襲
東京大空襲を指揮したアメリカの軍人、カーチス・ルメイに対して、「勲一等旭日大綬章」が授与されています。東京大空襲から19年後に当たる1964年の出来事です。
私の年代はみんな知っています。東京や大阪など、日本の都市は北海道から沖縄まで、すべて焼け野原になりました。街という街が燃やされたのです。燃やし方がまた凄まじい。B-29という当時一番大きい爆撃機が、何千メートルも上からではありません。300メートル下ぐらいまで降りてきた。皆さん、パイロットの顔が見えたというぐらいです。そこまで下りてきて、いわゆる爆弾の雨を降らせるわけです。
特に有名なのが、東京の浅草を中心とした空襲です。まず四角い線を描くように爆撃し、最初にそこを焼く。日本家屋は木造ですから、よく燃える。ウォーっと一気に燃え上がるわけです。そうすると、住民たちは、あっちに逃げてもだめ、こっちに逃げてもだめと逃げ回る。その上で、300機以上のB-29が、すべてを潰すように爆弾を落としていったのです。
隅田川はいまではだいぶきれいになって、魚も戻ってきています。しかし、あの隅田川が1945年3月10日、沸騰したのです。周囲の大火災で水が沸騰し、水だと思って飛び込んだら、そこで即死です。

なぜ勲章を授けたのか
東京大空襲では、10万人もの人々が亡くなっています。分かっているだけで、10万人です。では、なぜ日本政府はルメイに勲章を授けたのか。腹が立つ話です。
皆さん、ルメイに対しハイ・ランキング、つまり非常に高い位の勲章を与えた背景には理由がありました。朝鮮動乱が起こり、日本も自衛しなければならないということで自衛隊を作りました。その際、空軍も必要になりますから、航空自衛隊を創設した。
そのときのアドバイザー、大先生がルメイだったのです。ルメイにお世話になった。そのお礼として、天皇陛下から勲章が出たのです。しかし、さすがに陛下もそこには違和感をお感じになられたと伝えられています。政治家が決めたことなのでしょう。
世論はどうだったのか
当時の日本国民や政治家は、ルメイが受章することに反対しなかったのか。おそらく、反対していた人はたくさんいたと思います。
ただ、もう一つ、ルメイにとってラッキーだったのは、日本の経済が高度成長期に入っていたことです。そしてオリンピックがやって来た。日本中が盛り上がっていた。ルメイの話に嫌悪感を持っていた人は多かったでしょうが、あえて口に出すほどの空気ではなかったのです。
ところが、その熱気が冷めた後になって、「おい、誰があんなことを考えたのだ」という話になる。だから、あの当時の航空自衛隊の参謀部も、よほどアメリカに対しておんぶに抱っこだったのか。それともCIAが言うところの金・女・ステータスという三つの煩悩で騙されたのか、あるいは脅されたのか。あれは、自衛隊にとって最悪の汚点です。
西鋭夫のフーヴァーレポート
勲章と権力(2022年4月上旬号)-5
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

