役に立つ研究
公的機関が出す研究費については、もちろん税金が関係しますので、社会にとって有益な研究かどうかが問題になります。すなわち「役に立つ研究」が求められるのです。研究費を提供する側からすれば、「役に立たない研究」にお金を出すのはナンセンスなのです。国民に対して説明責任を果たすことができないと考えるのでしょう。しかし、その研究が目に見えて何らかの貢献をすると考えられた場合は「役に立つ研究」としてもてはやされ、研究資金がどんどんと流れていきます。
予算を配分する側の人間は、そもそも「良い研究かどうか判断できるのか」、「本当に役に立つものなのかどうかわかるのか」といった評価に関わる問題もあります。政治家の先生や官僚、さらには御用学者の皆様は、基本的に目に見える成果をきちんと出すものにしか税金は出せない、と考えていると思います。
基礎研究の重要性
ところが簡単には目に見えない、研究の後ろ側にダーッと広がっている原野がありますが、そこを開拓することの方が大切なのです。目に見えるものが終わったら、その次はどこに行くのですか。路頭に迷うのではないですか。研究の背景にある原野にこそ目を向けてほしい。日本の場合は目に見えることばかりを追っていますので、すでに路頭に迷っている場合の方が多い。そんな状況では世界の研究レベルについていけません。
皆さん、少し考えてみてください。日本の人口は1億3,000人ほどです。アメリカは3億6,000人ほどです。日本のノーベル賞受賞者はこれまで30人ほどいらっしゃいます。では、アメリカはどうでしょう。日本の3倍、4倍ですか。答は10倍以上です。スタンフォードだけで36人おります。フーヴァー研究所にも2人、ノーベル経済学賞の受賞者がおられます。
そうするとアメリカ人は日本人よりも賢いのでしょうか。違います。そうではないのです。教育の仕方、そして研究にかけるお金の使い方が違うのです。
好奇心
眞鍋先生は日本に帰りたくないと仰られていましたが、日本からの頭脳流出は今始まったものではありません。昭和から起きています。昭和、平成、令和と日本の大学・研究機関の魅力は激減状態です。研究以外の業務の多さに加えて、研究費の少なさ、給料の少なさなど、研究者を応援する体制になっておりません。その上、社会にとって役立つ研究がいつも求められる。
眞鍋先生は受賞会見で、「最も興味深い研究とは、社会にとって重要だからという理由で行うのではなく、好奇心に突き動かされて行う研究だ」「すべての研究活動を後押ししているのは好奇心である」と語っております。私も先生のご意見に大賛成です。しかし日本の大学では好奇心を優先することができない環境になってしまったのです。これが悲劇です。
自分が好きなことを延々と深く研究し、1つの論文を書く、1つの本を書くとします。そうするとそれがしばらくして、それは5年とか10年とかが経過した後ですが、ガッと評価される可能性があります。そういったすぐ役に立たなくても素晴らしい研究がたくさんあるのです。「すぐに役に立つ」と言ってそういう研究ばかりやっていると、だんだんと裾野が狭くなっていって、「富士山が倒れる」ということが起きます。ですから、裾野、すなわち基礎研究をしっかりとやらなければならない。

西鋭夫のフーヴァーレポート
ノーベル賞と日本の未来(2022年1月下旬号)-3
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

