研究環境
2021年のノーベル物理学賞は、プリンストン大学の眞鍋淑郎(まなべしゅくろう)さん、90歳が選ばれました。眞鍋先生の現在の国籍はアメリカです。しかし、日本人がノーベル賞を受賞したかのような報道の仕方でした。さらに、ノーベル賞の権威におもねるかのように、文化功労賞と文化勲章までもが眞鍋先生に贈られました。ノーベル賞の報道がおさまり、時間が経った今だからこそ冷静になり、ノーベル賞と日本の学問の行く末を考えたいと思います。
眞鍋先生がノーベル物理学賞をもらうというのは非常にうれしいことです。しかし問題は、50年もアメリカの国籍、アメリカ市民として活躍された先生を「日本人」として勘定して、日本人として「28人目の受賞」などと言っていることです。恥ずかしくないのでしょうか。
アメリカで生活し、アメリカで研究費を何億、何十億と頂き、自由に研究させてもらった眞鍋先生を、ノーベル賞をもらったから日本人の業績と勘定し、文化勲章まで差し出すというこの態度、もういやらしいという感じです。漁夫の利を得る、人のものを取る。誰か眞鍋先生に金を出した人がいるのですか。研究所も与えていません。研究するいろいろな道具なども全然出していないのに、ノーベル賞をもらった途端に「はい、日本人の業績」としました。腹は立ちませんけれど、恥ずかしいです。ひょっとしたら、日本はこれをずっとやりますよ。
頭脳流出
眞鍋先生は1975(昭和50)年にアメリカ国籍を取得。二重国籍が許されていないので、この時、自動的に日本国籍を失いました。眞鍋先生は、ノーベル賞受賞の記者会見の際に、日本に帰りたくない理由を「アメリカでは、自分の研究のために好きなことをすることが出来る」と述べておられます。好きな研究をするには、研究費(資金)が必要になります。

私もアメリカ生活が長いですから、眞鍋先生と同じ考えです。ただ私は国籍を変えませんでした。変えておりません。アメリカの大学院で勉強していて、最初に教授たちに聞かれるのは「おまえは何をやりたいか」です。「何をやりたいのか」。私は占領をやりたかったのです。そうすると先生が指導するというのではなく、「おまえ、それを好きなだけやってみなさい。何か出来たら、何か書けたら持っておいで」です。そして奨学金をもらいました。お金をくれて「自由にやりなさい」ですよ。
それゆえ、眞鍋先生もお金をたくさん頂いて、研究室を与えられて「どうぞ先生、自由にやってください」です。上司がいて「あれしろ、これしろ」など絶対にありません。私も一度もありませんでした。
企画書の山
アメリカでお金をもらうのと、日本でお金を申請することの大きな違いは、研究企画書の有無です。日本ではこれに相当な時間をかけないといけません。下手をすれば1ヶ月以上、2ヶ月、3ヶ月とかかります。こういうものを書いてどこかに申請するのですが、それを誰が審査しているのですか。それも疑問です。多くは学者でしょうが、その人の本当の専門と申請内容が合致しているか分かりません。ひょっとしたらその企画書の中に書いてあることを評価できないかもしれません。
京都大学の天才教授、山中先生も嘆いておられましたね。ノーベル賞をもらわれました。ついこの間の話です。そうすると日本政府は張り切って、山中先生に何億か何十億かかけて研究所を作ってくださいと。そうすると山中先生も最初の時は「非常にうれしゅうございます」と言っていました。ところが1年経つと、「研究成果を紙にして差し出さなければいけない。それがものすごく時間を取ります」と言い、ぽろっと「研究費をお返ししたい」とこぼしていました。
それどころか昨日今日のニュースで、先生はその研究所の所長を辞任され、残っている時間を自分の研究、基礎研究に使いたいと仰っておられました。日本はこんな世界なのです。
西鋭夫のフーヴァーレポート
ノーベル賞と日本の未来(2022年1月下旬号)-1
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

