朝日新聞
洗脳プログラムにおいて重要な役割を果たしたのがメディアです。日本にやってきた GHQは基本的人権や報道の自由が重要だと語り、これが民主主義の要だと説きました。これに大喜びしたのが朝日新聞です。朝日はそこで原爆投下に対する批判や、アメリカ兵による婦女暴行の記事を掲載しました。気骨のある勇敢な新聞社だったと思います。
しかしこれは行き過ぎでした。GHQ が ちょっとおいで」と朝日を呼び出し、往復ビンタです。それで発売中止にしました。これがどれだけ恐ろしいか。日本は超貧乏ですよ。お金がありません。そしてもっとなかったのは新聞を刷る紙です。この紙もGHQが配給してい
ました。
発売禁止と言っても、その日の朝四時から五時ごろに禁止となるわけです。膨大に刷った新聞ですが、これら全て売ることができません。紙も止められるかもしれない。これは相当な仕打ちだったと思います。朝日はこれを二日ほどやられました。
プレスコード
さらにアメリカは こいつら放っておくとまたろくなことを書かねぇから」と十項目のプレスコード、いわゆる報道規制を出しました。アメリカについて悪いこと言っちゃいけません。軍隊の動きを書いてはいけません。あの戦争はやむをえなかった戦争だったなどと書いちゃいけません、などとやった。
言論の自由を尊重するはずのアメリカが マスコミを規制するとは何事ぞ」と思うかもしれませんが、マッカーサーから見ると矛盾ではありませんでした。日本人は民主主義も知らない。報道の自由も知らない。だから国づくりについても、マスコミについても「アイウエオ」から教えなきゃ、という態度でした。これが数年間、続きました。
検閲も常態化していきます。朝刊を出す前に、その前の日に書いた記事をGHQに持って行って、検閲してもらう。これは大抵、日本人二世が行いました。私はこの現物を見たことがあるのでわかりますが、赤ペンでガーッと引いてあるところは削除、青で引いてあるところは書き直し、といった具合です。
検閲に関するイメージ新聞社もジャーナリストたちもバカじゃありません。毎回直されるので、次からはこう書けば検閲を通るということがわかってきます。すなわち「いけません」ということをしっかり守った新聞社が生き残っていきました。新聞のことで言えば、共産党も最初は大歓迎されておりましたから、新聞 赤旗』などは紙をたくさんもらえました。しかし冷戦が色濃くなっていく中で、『赤旗』は相当いじめられました。

娯楽文化
その他の分野では娯楽系が大ヒットです。安全でしたし、日本国民も娯楽に飢えていました。プロレスとかボクシングが流行ったのもその影響でしょう。私が子どもの頃に感動したのはボクシングの白井義男さんです。トレーナーはアメリカ人のドクター・カーン。白井はフライ級で世界チャンピオンになった。国が割れたほどの大喜び。私たちはラジオに釘付けでした。
娯楽が溢れる傾向は今もなお続いております。私たちは政治の話、安全保障の話を大真面目にしたがらないでしょう。テレビをつければ娯楽番組だらけです。真面目に選挙に行ったらかっこ悪いのか。それで誰も政治に興味がなくなった。投票率をご覧なさい。それが五〇%、六〇%となったら違ってくると思いますよ。日本で民主主義なぞ、絵に描いた餅です。単に「民主主義」と言えば、何でも許されるような社会です。本質には全く触れておりません。
繰り返しになりますが、これこそがまさにGHQによる洗脳政策の結果なのです。ここから七十年、私たちは抜け出せておりません。
西鋭夫のフーヴァーレポート
GHQ の洗脳政策(2017 年 12 月下旬号)-3
この記事の著者
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

