届かぬウクライナの声
皆さん、誰も助けてくれないのです。あのウクライナの空は広大です。日本の1.5倍ほどの国土の上をロシアのジェット機や爆撃機が自由に飛び回っています。そこでゼレンスキーさんは、「NATOさん、戦闘機を出して、ロシアの戦闘機を撃ち落としてくれ」と必死に頼んだのです。しかし、それが起きれば第三次世界大戦です。
核を持たない国は軽んじられるのです。「死にたければ死ね」と突き放される世界です。実際、ウクライナの必死の叫びは空しく響くままです。ゼレンスキーさんの「空を閉じてくれ」という言葉は世界への悲痛な訴えでした。
これは日本にとっても重大な示唆、警告級の意味がありますよ。考えてみてください。もし日本が狙われ、明日か明後日に対馬列島を奪われたらどうしますか。私たちは戦えますか。 中国が来て、日本が攻撃した瞬間に全面戦争です。日本は本当にやれるのでしょうか。台湾が中国に攻め込まれたら、台湾は必死で戦うでしょうが、それでも劣勢に追い込まれていくかもしれません。その時、日本は助けに行きますか。台湾の次はどこでしょう。
結局、日本にも武力はありません。ウクライナと同じように核を放棄した瞬間から国際政治の中で弱い立場に追いやられてきました。アメリカとイギリスはウクライナに空手形を切ったに過ぎません。実際に換金しようとしたら「それはダメだ」ということでした。
クリミア半島
ロシアの圧力は2013年の秋ごろから強まり、2014年2月から3月にかけてクリミア半島をあっという間に併合しました。これは今回のウクライナ侵攻の下準備であると同時に、プーチンさんにとってはロシア帝国百年の計だったのでしょう。
2014年、ウクライナでは新しい大統領が選ばれましたが、その人物はロシア寄りでした。CIAが介入し、彼を追放します。そこから国は乱れに乱れました。国民は選挙を信じなくなります。アメリカに対してもです。アメリカが支援すると言っても、「アメリカは裏で何を企んでいるのか。私たちを売るのではないか」と疑っているのです。
1860年のクリミア戦争をご存じでしょう。ロシアが黒海へ南下し、クリミア半島に入った時に、フランスとイギリスが「大変だ」と立ち上がり、大戦争になりました。トルコもイギリス側につき、ロシアと激突します。その時、トルストイもロシア軍兵士としてセバストポリで迫撃戦を経験しました。すさまじい戦いで、長期の持久戦になり、突撃戦になり、ついにロシアは食糧も弾薬も尽きて撤退しました。
ロシアの記憶
ロシア人たちには「クリミア半島をイギリスとフランスに奪われた」という恨みが骨の髄まで残っています。私たちが北方領土を忘れられないのと同じです。クリミアは北方領土よりはるかに大きく、しかも長年にわたってイギリスとフランスの統治下に置かれていたのです。
プーチンさんがクリミアを取りに行った理由は、そこがロシアにとって神聖な地だからです。東ウクライナはほとんどがロシア系住民で、ロシア語を話し、祖父母たちは皆、ロシアに住んでおりました。「私たちはクリミアに暮らしているけれど、祖国に戻りたい」と願う人々がいるのです。プーチンさんは「今が好機」と見抜き、一瞬でクリミアを奪いました。
何万、何十万という血が流れた地、ロシア帝国の歴史に深く刻まれた聖地を、彼がそのまま放置するはずはなかったのです。
西鋭夫のフーヴァーレポート
ウクライナ分割案(2022年3月下旬号)-6
この記事の著者

西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。