From:岡﨑 匡史
研究室より
1930年以来、日本人が病気で亡くなる一番の死因は結核だった。
1945(昭和20)年の結核死亡者数は20万3000人で、人口10万人当たりの死亡率は280.3三人という極めて深刻な数値。
GHQの調査によると、日米大戦末期に空襲で死亡した人よりも、結核で亡くなった日本人の方が多いと見積もっている。東京大空襲の死者でさえ約8万3300人。
栄養失調と人口過密
結核が日本で猛もう威いを振るっていた原因は、栄養失調と人口過密。
当時の日本の住宅は長屋で、一部屋に十人以上もの人間が寝泊まりしていた。
一人が結核に感染すると、周りの人間に伝染する。
人口過密な都市で、食事のバランスが悪いと結核に罹かかりやすい。
結核を治すために都市伝説ともいえる民間療法まで出回っていた。蛇の黒焼き、人骨、スッポンの生血、ドジョウの鵜呑みなど、不治の病を治すためなら「塩から砂糖まで」と云われたほどだ。
日本のBCG研究
戦前の日本でも1937(昭和12)年から1943(昭和18)年にかけて、日本学術振興会学術部においてBCG研究が行われている。
1943年3月、日本学術振興会学術部は結核予防にBCGが効果的であると発表。
日本政府は接種を推奨したが、戦争の雲行きが怪しくなっていたので、BCG接種プログラムは頓挫した。
ー岡﨑 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
・連合国最高司令官総司令部編『GHQ日本占領史 第22巻 公衆衛生』(日本図書センター、1996年)
・クロフォード・F・サムス『GHQサムス准将の改革』(桐書房、2007年)
・小高健『日本近代医学史』(考古堂書店・2011年)
・厚生省五十年史編集委員会『厚生省五十年史 記述編』(財団法人厚生問題研究会・1988年)
この記事の著者

岡﨑 匡史
日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。
岡﨑 匡史

日本大学大学院総合科学研究科博士課程修了。博士(学術)学位取得。西鋭夫に師事し、博士論文を書き上げ、著書『日本占領と宗教改革』は、大平正芳記念賞特別賞・国際文化表現学会学会賞・日本法政学会賞奨励賞を受賞。