遺骨探しの司令塔
アメリカではどのような組織が遺骨を探しているのか。民間組織も行っておりますし、陸軍や海軍、空軍などそれぞれの軍も動いております。そこにアメリカ政府はドンとお金を投入し、「探せ!」と命じるわけです。彼らは今、太平洋戦争だけではなく、ベトナム戦争の戦没者についても懸命に探し続けています。ベトナム政府も協力的だと聞いています。
皆さん、どの国も戦死した者の遺骨を本国に持ち帰る大切さを理解しています。そして、それを「やらなければならない」と強く自覚しております。日本も、もっと資金を注がなければいけないのです。
遺骨を探すには歴史学者の協力が必要です。考古学者も必要です。そして、歯をDNA鑑定にかけるには人類学者が不可欠です。そうした多様な専門家の力を結集して、アメリカでは国防総省が司令塔となって事業を進めているのです。
最初にお話ししたスミスさんですが、彼は沈んだままのアメリカ軍の戦闘機、その操縦席に白骨になったパイロットがそのまま座っていたと話しました。スミスさんたちは、それを丁寧に引き揚げ、アメリカ本土のテキサスへと持ち帰ったのです。きっと、あの兵士の家族は涙を流して喜んだことでしょう。
なぜ防衛省ではないのか
一方、日本において遺骨を集めているのは厚生労働省です。なぜ防衛省ではないのでしょうか。完全に間違ったところに責任を持たせてしまったと思います。厚生労働省さんには「ここまでやってくださって、ありがとうございました。しかし、全権限はもう防衛省に移しましょう」と私は申し上げたい。
おそらく防衛省であれば、より徹底的に行うでしょう。彼らは資料も多く持っていますし、予算と装備もあります。組織力もあるでしょう。しっかりと行えば、毎年100柱くらいは戻ってくるのではないでしょうか。これは、本来「軍の仕事」です。厚生労働省の仕事ではありません。
誰も他にやる者がいなかったから、仕方なく厚労省が担当してくださった、ということなのかもしれませんが、その取り組み様は千差万別だったように思います。私が聞いたのはとても酷い話でした。現場に行くと言っても1週間程度の滞在であり、ある者は骨を一生懸命探していたが、ある者は「服が汚れるのが嫌だ」と動こうとしなかった。そういう話を私は現地に行かれた方から直接聞いています。
こんなことを言うと私は日本から追い出されるかもしれません。しかし、あえて申し上げたい。これは皆さんの家族の話なのです。私の叔父、お母さんの弟は、戦場から「石ころ」となって帰ってきました。その時のおばあちゃんとお母さんの悲鳴は、今でも私の耳に焼きついております。当時、私は四歳でしたが、あの悲鳴は今でも忘れられないのです。
これは私の家族だけの問題ではありません。皆さんのお父さん、お母さん、そしてご先祖の話なのです。「俺は関係ない」と言えますか。関係ありますよ。
西鋭夫のフーヴァーレポート
戦没者遺骨と慰霊(2021年8月上旬号)-5
この記事の著者

西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。