アメリカにて
日本における戦没者の遺骨収集事業について語る前に、まずは私の体験を紹介したいと思います。私が学生のときの話です。ワシントン近郊にあるアメリカ国立公文書館、いわゆるアーカイブズで資料調査をしていたとき、一人のアメリカ人男性に声をかけられました。大柄で、まるでプロレスラーのような体格のその男は、「おまえは日本人か」と聞いてきたのです。「はい」と答えると、「ここで何を研究しているのか」と尋ねてきました。
私が「真珠湾について調べています」と答えると、彼は「自分は南太平洋で行方不明になったアメリカ兵を探している」と話しました。名前をスミスさんとしておきましょう。彼は海の専門家で、陸地の調査は別の人が担当しているとのこと。彼の話によれば、アーカイブズには「テネシー出身の誰それはどの部隊に配属され、どこに派遣された」といった記録がすべて残っているというのです。「そんなに詳細な情報が本当に揃っているのですか?」と尋ねると、「あるに決まっている。軍に入って記録が残っていない者などいない」と即答されました。
彼は仲間とともに船の上からレーダーを使って、海底に沈む金属を探知し、アメリカや日本の戦闘機の残骸を見つけ出していたのです。あるときレーダーが反応し、潜ってみると、そこには無傷のアメリカの戦闘機が沈んでいました。撃たれたパイロットが乗ったまま、機体はそのまま海に沈んだのです。
遺骨収集への想い
スミスさんたちはその遺体を引き揚げ、身元が判明するとすぐに家族へ連絡を取りました。たとえば「お宅の息子さん、あるいはおじいちゃんが見つかりました」と。彼は「家族の感動を見れば、海で死んでもいい」とまで語っていました。
これは民間の運動です。民間の寄付金で成り立っているのです。さらにアメリカの国防省も協力し、陸・海・空・海兵隊が組織的に取り組んでいます。「おまえが戦死したら、遺骨は必ず持って帰る」。これは単なるスローガンではなく、現在も真剣に実行されている信念です。
英霊たちの遺骨
一方の日本はどうでしょうか? あれだけ「一億総玉砕」と叫び、国を挙げて戦争に突き進んだ国が、敗戦とともにその精神をかなぐり捨てて、マッカーサーの腰巾着となり、食料のためにおべんちゃらを使うような有り様になったのです。
スミスさんが言うには、南洋の島々で洞窟に入ると、日本兵のものはすぐに分かるとのことでした。持ち物や使っていた物資が異なるからです。皆さん、日本は貧しい国ではありません。にもかかわらず、いまだに多くの戦没者の遺骨が放置されたままです。皆さんのおじいさん、おばさんの遺骨かもしれません。その骨が野晒しの状態なのです。
自分の家のお墓に何が入っていますか。遺骨です。その遺骨を大切にしない社会が、まともな社会であるはずがありません。
西鋭夫のフーヴァーレポート
戦没者遺骨と慰霊(2021年8月上旬号)-1
この記事の著者

西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。
西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。