水源、知られざる戦術的要衝

by 西 鋭夫 June 16th, 2025

給水作戦

皆さん、水が手に入らない状況を想像してみてください。電気が止まったときのパニックがありますが、それどころではないですよ。電気がなくても人間はなんとか生きていけますが、水がなければ生きていけません。

第二次世界大戦のとき、日本軍は東南アジアや南洋諸島に進軍していきましたが、そこにはきれいな水がありませんでした。現地のさらさら流れる小川の水を飲んだだけで、一発で下痢や赤痢、時にはコレラにかかり命を落としました。水だけでなく、その時は食料も不足しており、飢えによって非常に多くの兵隊が死んでいきました。飢えるというのは単に食べられないというだけでなく、免疫力の低下を招くのです。ですから体が元気で免疫がしっかりしていれば、汚い水を飲んでも耐えられることもありますが、飢えた体ではそうはいきません。

日本軍はもちろん対策を打ちましたが不十分でした。スケールが小さすぎたのです。では、一方のアメリカはどうしたのか。巨大なタンカーのような船を10隻、20隻と太平洋を渡らせ、水を南洋諸島まで運んでくるわけです。それを沖合に停泊させ、前線へどんどんと水を届けました。日本の兵隊さんたちはアメリカ兵が飲んでいる水を見て「盗みたい」と思ったでしょうが、近づくことすらできませんでした。水がなければそこは地獄です。硫黄島なんてほとんど水がありませんでした。

水と石油はほぼ同じ価値になりますね。人間にとって「石油と水のどちらを選ぶか」と問えば、水を選ぶでしょう。しかし当時の日本は原油がないのに戦争を始め、短期戦で終わらせるつもりが長期戦となり、物資が続かなかったのです。攻撃用の武器は考えていたが、補給する水、そしてガソリンのことまでは考えていなかったというわけです。私は戦争の話になると「かわいそう」という思いと、「なんでそんなことを」と腹立たしい気持ちが混ざってきます。

 

植民地での水道事業

日本は日清・日露戦争に勝ち、台湾や朝鮮半島などの植民地を獲得していきましたが、植民地を維持し、現地の人々が健康に暮らすためには公衆衛生の整備が不可欠でした。ですから、こんなことを言うと植民地側の人々には怒られるかもしれませんが、日本軍は植民地において水道整備事業を徹底的に行いました。そのため、衛生面では大きく改善され、疫病で人が死ぬことがほとんどなくなりました。台湾も朝鮮半島も、そして南の島々もそうでした。

私は以前、講演の際に面白い青年と出会いました。講演後に「西先生、ぜひ私の島に来てください」と言ってきたのです。「どこだ」と聞くと、サモアなどのあの辺りでした。「日本人が行っても大丈夫か」と聞いたら、「島の人たちは日本人が一番好きです」と。驚きましたね。「あそこも日本に占領されたのでは」と問うと、「はい、されました。でも祖父母の代は日本人を非常に好いていました。西先生が来たら大歓迎されますよ」「食べ物は美味しいか」「とても美味しいです!」という具合でした。

日本の植民地政策というと、今では悪の象徴のように語られることが多いですが、もっと現状を見て、観念的ではなく、事実に即して考えなければなりません。よく知られていますが、台湾では日本人の技術者がいまだに賞賛され、感謝されています。韓国の話になると怒る方もいますので控えますが、韓国でも植民地時代に造られた鉄道や電線網、水道施設が長く使われておりました。北朝鮮も同じです。

 

給水施設への攻撃

それほど重要な水道網です。ここを攻撃することは戦術的に非常に重大なダメージを相手に与えることになります。ですから、国際法で水源を攻撃することは禁止されているのです。でも、どの国がそんな規則を守るのでしょうか。

朝鮮戦争の時、アメリカのジェット機は、北朝鮮にある発電所が併設されたダムを何度も攻撃しました。アメリカはイラク戦争のときも、イラクの発電所や巨大なダムを爆撃しました。本来は禁止されている行為ですが、戦争になれば「すべてあり」なのです。

日本にはどれくらいの数のダムがあると思いますか。黒部ダムのような、非常に大きなダムもあります。もし、あそこが破壊されたら、どんなことになるか。そういった場所にテロリストが爆弾を仕掛け、スマホでスイッチを押したらどうなるか。想像を絶する事態になります。

日本でダムは観光名所のようになっておりますが、そこを「守る」という意識は極めて低いと言わざるを得ない状況です。

 

 

西鋭夫のフーヴァーレポート
水道と国際政治(2021年11月下旬号)-5

 

 

この記事の著者

西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

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西 鋭夫

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士) J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。